「宋」に関係する言葉

「宋」に関係する言葉の一覧を表示しています。 検索結果が多い場合は文字数で絞ることが可能です。
31件目から59件目を表示< 前の30件
言葉

(1)章炳麟 | 詳しく調べる

意味中国、清末・民国初期の革命家・政治家(1869~1936)。字(アザナ)は枚叔(Meishu)(バイシュク)、号は太炎(Taiyan)。
康有為(Kang Youwei)に賛同して変法自強運動に参加。
西太后(Xi Taihou)らの守旧派による戊戌政変で日本に亡命。
民族革命を主張し、蔡元培(Cai Yuanpei)らと革命団体光復会(Guangfu Hui)を結成。
孫文(Sun Wen)の興中会(Xingzhong Hui)、黄興(Huang Xing)の華興会(Huaxing Hui)と合同で中国同盟会(Zhongguo Tong-meng Hui)を組織し、一時同会の機関紙「民報(Minbao)」の主筆をつとめる。
1910(明治43)孫文と決裂して光復会を再結成。
中華民国成立後は袁世凱(Yuan Shikai)政権の顧問。
1913(大正 2)宋教仁(Song Jiaoren)(ソウ・キョウジン)暗殺事件の後、袁世凱の帝政運動に反対し軟禁される。

言葉

(1)廈門 | 詳しく調べる

(2)アモイ | 詳しく調べる

意味中国、福建省(Fujian Sheng)南東部の港湾商工都市。福州市(Fuzhou Shi)(フクシュウシ)と並ぶ大商港の一つ。
台湾海峡にある小島の厦門島の南西岸に位置し、対岸に鼓浪嶼(Gulangyu)(コロンス)がある。
宋・元代からの外国貿易港で、明初期から厦門と呼ばれた。
一時、鄭成功(Zheng Chenggong)(テイ・セイコウ)が金門島(Jinmen Dao)とともに領有して清朝への反抗の拠点とした。
1842年、南京条約で開港し、上海・香港・台湾・南洋などを結ぶ中継貿易地として発展。
経済特別区を設置。

言葉

(1)魚鱗図冊 | 詳しく調べる

意味中国で課税の基礎にするため作成された一種の土地台帳。
南宋の時はじめて「魚鱗図」と呼び一部の地域で作成された。
明の太祖(洪武帝)により整備され1381<洪武14>「魚鱗図冊」と称し、各地の番号・位置・境界・種類・所有者負担税などが記載されていた。
清代にも受け継がれ「魚鱗冊」と称した。

言葉

(1)倭の五王 | 詳しく調べる

意味中国の『宋書(ソウジョ)』・『梁書』などに見える、南朝の宋に朝貢した5世紀の倭国王、讃(サン)・珍(チン)(弥<ミ>)・済(セイ)・興(コウ)・武(ブ)の五人の王。
王の名は天皇の名を中国風に表記したもので、讃は応神か仁徳か履中、珍(弥)は仁徳か反正、済は允恭、興は安康、武は雄略の各天皇に比定される。
 413~ 502年に13回にわたって遣使朝貢している。倭王が何度も朝貢したのは、南朝の文物を輸入するだけではなく、南朝の権威を借りて高句麗の南下を牽制し、朝鮮半島南部の大和政権の権益を維持する目的もあった。しかし、南朝は倭国の国際的地位を百済や高句麗よりも低く評価しており、また南朝の対高句麗政策も倭国の意図とは異なっていたので、所期の目的を達成できずに遣使を打ち切っている。

言葉

(1)浙江財閥 | 詳しく調べる

意味中国の上海(シャンハイ)を中心に活躍していた金融業の一団の呼称。
主として浙江出身の実業家で、浙江人の資金を基礎としていた。
国民政府成立後、政府と連絡してその財政面の施策を援助したため、強大となり全国の金融・産業を支配するにいたった。宋子文(Song Ziwen)(シブン)・孔祥煕(Kong xiangxi)(コウ・ショウキ)らがその中心であったが、人民政府成立後はほとんど没落した。うしぶん(宋子文)

言葉

(1)宋朝 | 詳しく調べる

意味中国の五代十国を統一した王朝( 960~1279)。
趙匡胤(Zhao Kuangyin)(チョウ・キョウイン)(太祖)が建国。〈北宋(Bei Song)〉
 960~1127。〈南宋(Nan Song)〉
1127~1279。

言葉

(1)王安石 | 詳しく調べる

意味中国の北宋(Bei Song)中期の政治家・文人(1021~1086)。字(アザナ)は介甫(Jiefu)(カイホ)、号は半山(Banshan)。江西の人。
1042年、21歳で科挙に合格し状元進士。地方官を歴任して地方政治の経験を積み、仁宗(Ren Zong)に『万言書』をおくり政治の乱れを指摘した。
革新政治家で年少気鋭の神宗(Shen Zong)(シンソウ)に登用され、宰相となり富国強兵策、いわゆる「王安石の新法」を断行した。また学校を建てて人材を養成し、科挙の方法を変えて社会の実用に合わせようとした。
しかし、特権維持をのぞむ司馬光(Shima Guang)ら一派の旧法党の痛烈な反対を受け厳しい悪評を浴びて僅(ワズ)か5ヶ年で辞任した。
博学能文・経綸に富んだ文章家として唐宋八大家(ハチダイカ)の一人でもある。

言葉

(1)二王 | 詳しく調べる

意味中国の周代、夏(カ)・殷(イン)の子孫である杞(キ)・宋(ソウ)のこと。

言葉

(1)飛錢 | 詳しく調べる

意味中国の唐・宋時代に行われた、手形による送金制度。
茶・塩・絹などの遠距離取引の隆盛や、租庸調に代えて銭納を原則とする両税法の施行など貨幣経済の発達を背景により、大量の銅銭輸送に替えて生じたもの。
中央官庁、節度使が都に設置した進奏院(Jinzouyuan)、都会の商人などが為替手形を発行・経営した。
その手形を唐代には「拠(據)(ju)(キョ)」,「文牒(wendie)(ブンチョウ)」、宋代には「交子(jiaozi)(コウシ)」,「会子(huizi)(カイシ)」と呼ばれた。
「便銭(bianqian)(ベンセン)」,「便換(bianhuan)(ベンカン)」,「換銭(huanqian)(カンセン)」とも呼ぶ。

言葉

(1)初唐 | 詳しく調べる

意味中国の唐代を文学史の上から四分した、その第一期。
唐初から玄宗(ゲンソウ)即位の前年までの 618~ 711<武徳元~景雲 2>。
絶句(ゼック)・律詩(リッシ)・排律(ハイリツ)などの近代詩の確立を見るが、その一方でまだ四六駢儷体(ベンレイタイ)などの六朝風(リクチョウフウ)の延長線上にある時期。
魏徴(Wei Zheng)(ギ・チョウ)・王勃(Wang Bo)(オウ・ボツ)・張九齢(Zhang Jiuling)(チョウ・キュウレイ)・楊炯(Yang Jiong)(ヨウ・ケイ)・盧照鄰(Lu Zhaolin)(ロ・ショウリン)・駱賓王(Luo Binwang)(ラク・ヒンノウ)・沈セン期(Chen Quanqi)(シン・センキ)・劉希夷(Liu Xiyi)(リュウ・キイ)・陳子昂(Chen Zi’ang)(チン・スゴウ)・杜審言(Du Shenyan)(ト・シンゲン)・宋之問(Song Zhiwen)(ソウ・シモン)らが活躍。

言葉

(1)玉篇 | 詳しく調べる

意味中国の字書。30巻。
梁(Liang)(リョウ)の顧野王(Gu Yewang)(コ・ヤオウ)( 519~ 581)が編集して 543<大同 9>完成。
1万6,917字を542部に分類し、解説は詳しく、諸書の注解も加える。
原本は失われ、日本に写本の一部が現存。
唐代に増補本が作られる。
宋代に陳彭年(Chen Pengnian)(チン・ホウネン)らが改訂した『大広益会玉篇』が作られる。
「ごくへん(玉篇)」とも呼ぶ。

言葉

(1)生女真 | 詳しく調べる

意味中国の宋代、宋に朝貢しない、または契丹・高麗に朝貢する女真族(Nuzhen Zu)に対する、宋からの呼称。

言葉

(1)会子 | 詳しく調べる

意味中国の宋代の送金為替。

言葉

(1)宋美齢 | 詳しく調べる

意味中国の政治家・宋嘉樹(Jiashu)の娘・宋三姉妹の末妹(1901. 3. 5~2003.10.23)。中華民国の財政部長を務める財閥孔祥煕(Kong Xiangxi)(コウ・ショウキ)の妻靄齢(Ailing)(アイレイ)・中国革命の父孫文(Sun Wen)(ソン・ブン)の妻宋慶齢(Qingling)(ケイレイ)・中国の財政家宋子文(Ziwen)(シブン)の妹。上海(シャンハイ)生れ。
1908(明治41)アメリカに留学。
1917(大正 6)ウェスリアン女子大学(Wesleyan College for Women)を卒業。
1927(昭和 2)蒋介石(Jiang JieShi)(ショウ・カイセキ)の後妻となってから、立法委員・婦女協会新生活運動理事長・国民党中央執行委員など国民政府の要職を歴任。
1936.12.(昭和11)西安事件では自ら西安に飛び蒋の救出に努める。
第二次世界大戦後は対米外交に活躍し、再三渡米して対華援助を要請。
航空事業を独占支配。
1975(昭和50)ニューヨーク郊外に移住。ん(宋子文)

言葉

(1)明銭 | 詳しく調べる

意味中国の明王朝が鋳造した渡来銭。洪武通宝・永楽通宝・宣徳通宝などがあった。
室町時代は官銭が鋳造されず、日明貿易を通じて大量に輸入され、宋銭・元銭とともに流通した。
それでも経済の発展による需要の増大から、品質の粗悪な鐚銭(ビタセン)と呼ぶ私鋳銭(シチュウセン)が作られた。その結果、通用に際して雑多な貨幣の中から良銭を選び取る撰銭(エリゼニ)が行われて貨幣流通の妨げとなった。
江戸幕府は1636(寛永13)寛永通宝を発行し、明銭などの渡来銭の使用を禁止して銭貨の統一をはかった。んえいつうほう(寛永通宝)

言葉

(1)東晋 | 詳しく調べる

意味中国の西晋(Xi Jin)が滅亡した翌年の 317年、皇族司馬睿(Sima Rui)(元帝)が建康(Jiankang)(南京)に再建した国。
 420年、東晋の将軍劉裕(Liu Yu)(宋の武帝)により滅亡。

言葉

(1)大足石刻 | 詳しく調べる

意味中国の重慶市(Chongqing Shi)(ジュウケイシ)西部、大足区(Dazu Qu)にある仏教・儒教・道教の石刻。
唐~宋時代に造られ、北山摩崖造像と宝頂寺摩崖造像がある。

姉妹サイト紹介
言葉

(1)鹿邑太清宮 | 詳しく調べる

意味中国中部、河南省(Henan Sheng)(カナンショウ)商丘(Shangqiu)(ショウキュウ)の南約50キロメートル、鹿邑県(Luyi Xian)にある太清宮の遺跡。
唐宋代の大型祭祀遺跡。西約500メートルからは殷(イン)末期~周(シュウ)初期の大型墓も発掘。
殷の紂王(Zhou Wang)(チュウオウ)の兄微子(Weizi)(ビシ)の墓と目される長子口墓(Zhangzikou mu)(チョウシコウボ)がある。

言葉

(1)水滸伝 | 詳しく調べる

(2)水滸傳 | 詳しく調べる

意味中国元末清初の白話(ハクワ)(口語)小説。
著者は施耐庵(Shi Nai’an)(シ・タイアン)または羅貫中(Lio Guan-zhong)(ラ・カンチュウ)といわれ明確ではない。
北宋末に宋江(Song Jiang)(ソウ・コウ)を首領とする108人の豪傑が、山東省梁山(Liangshan)(リョウザン)のふもと鉅野沢(Juyeze)(キョヤタク)にある伝説上のトリデ梁山泊(Liangshanpo)(リョウザンパク)を拠点に天下を横行・活躍する武勇物語。

言葉

(1)司馬光 | 詳しく調べる

意味中国北宋(Bei Song)(ホクソウ)の政治家・学者(1019~1086)。字(アザナ)は君実(Junshi)(クンジツ)。陝州(Shanzhou)夏県(Xia Xian)(三水+(「悚」-立心偏))水郷(Sushui Xiang)(ソクスイキョウ)、現在の山西省(Shangxi Sheng)運城市(Yuncheng Shi)(夏県)司馬営村(Shimaying Cun)の人。
20歳で進士となり、仁宗(Ren Zong)・英宗(Ying Zong)の時に言論に剛直な諌官として知られた。
神宗(Shen Zong)(シンソウ)の初年、王安石(Wang Anshi)(オウ・アンセキ)の新法に反対して退官し、通史『資治通鑑(Zizhi Tongjian)(シジツガン)』に専念。
哲宗(Zhe Zong)(テッソウ)の時に宰相に迎えられ、新法を廃し旧法に復したが、まもなく病死。
「ソク水先生(Sushui Xiansheng)」とも、死後に文正(Wen-zheng)の諡(オクリナ)を贈られ、また温国公に封ぜられて「太師温国公(Taishi Wenguogong)(オンコクコウ)」,「温公(Wengong)(オンコウ)」,「司馬温公」とも呼ばれる。

言葉

(1)温公の甕割り | 詳しく調べる

意味中国北宋(Bei Song)(ホクソウ)の政治家司馬光(Shima Guang)(シバ・コウ)(温公)の故事。
温公の子供時代、大切にしていた甕に友達が落ちたので、「器は人命より軽し」と言って自らその甕を割って助けたこと。

言葉

(1)蘇頌 | 詳しく調べる

意味中国北宋の天文学者(1020~1101)。

言葉

(1)畢昇 | 詳しく調べる

意味中国北宋の活字印刷術発明者。
慶暦年間(1041~1048)膠泥(コウデイ)(モルタル)製の印材に文字を刻み、焼いて活字(宋朝活字)を作る。鉄枠のある鉄板にその活字を並べ、松脂(マツヤニ)などで固めて版を作り、印刷を行う。
東洋の四大発明の一つであるが、木版より不便なため普及しなかった。

言葉

(1)麦積山石窟 | 詳しく調べる

意味中国北西部、甘粛省(Gansu Sheng)(カンシュクショウ)天水市(Tianshui Shi)(テンスイシ)の、麦積山の渓谷の東崖と西崖にある194ヶ所の石窟寺院群。
北魏(ホクギ)末期の 502年から北周・隋代にかけて大小の石窟が営造され、唐代に栄え、のち宋・元・明・清代にも造営・補修が行われている。
礫岩の石窟や仏龕(ブツガン)には塑像・壁画がある。

言葉

(1)オルドス | 詳しく調べる

(2)鄂爾多斯 | 詳しく調べる

意味中国北部、内モンゴル自治区(Neimenggu Zizhiqu)南西部の高原地域。
黄河(Huang He)が湾曲した南岸で、南方は万里の長城で限られている。
古くは河南(Henan)と呼ばれた遊牧の適地で、北方遊牧民族と漢族が抗争。
秦~漢代に匈奴(キョウド)がしばしば侵入。
五胡十六国時代には夏(大夏)が建国。
宋代には西夏が建国。
明代末期にモンゴル族のオルドス部が占拠してからオルドスと呼ばれる。
清代に伊克昭盟(Yikeshao Meng)(イクジョー盟)が置かれ、1649(慶安 2)<順治 6>鄂爾多斯左翼前・中・後旗と鄂爾多斯右翼前・中・後旗の6旗に分割。
旧称は綏遠省(Suiyuan Sheng)(スイエンショウ)「河套(Hetao)(カトウ)」。

言葉

(1)磁州窯 | 詳しく調べる

意味中国北部、河北省(Hebei Sheng)南端の邯鄲市(Handan Shi)(カンタンシ)が管轄する南端の磁県(Ci Xian)(古:磁州)を中心とする陶窯。また、そこで焼かれた陶器。
隋代から青磁などを産し、唐代に慈州(Ci Zhou)彭城鎮(Peng-cheng Zhen)(ホウジョウチン)(現:峰峰砿区彭城)で良質の陶磁器を産出し、宋代に慈州を音が同じ磁州と改称。
宋・元代に最盛期を迎え、明・清代を経て現代に至る。

言葉

(1)高宗 | 詳しく調べる

意味中国南宋の初代皇帝(1107~1187)。在位:1127~1162。
姓名は趙構(Zhao Gou)(チョウ・コウ)、字(アザナ)は徳基(Deji)。徽宗(キソウ)(Hui Zong)の第9子、欽宗(Qin Zong)(キンソウ)の弟。
徽宗・欽宗が金(Jin)軍に捕えられた(靖康<セイコウ>の変)ため、南方に走って即位。
1138年杭州(Hangzhou)に都して臨安府(Lin’an Fu)と名づける。
宰相に秦檜(Qin Gui)(シン・カイ)を用い、1141年に宋帝は「臣」と称する屈辱の和議を金と結ぶ。
江南を開発し経済発展を推進し、南宋の基礎を築く。

姉妹サイト紹介
言葉

(1)忠烈 | 詳しく調べる

意味中国南宋の忠臣、文天祥(Wen TianXiang)の諡(オクリナ)。

言葉

(1)黄竜山 | 詳しく調べる

(2)黄龍山 | 詳しく調べる

意味中国南東部、江西省(Jiangxi Sheng)(コウセイショウ)九江市(Jiu-jiang Shi)(キュウコウシ)修水県(Xiushui Xian)(シュウスイケン)西方にある禅寺。
唐代に誨機(Huiji)が開く。
宋代に黄竜慧南(Huinan)(エナン)(1002~1069)が黄竜宗を開き、道場として栄える。

言葉

(1)臨安 | 詳しく調べる

意味中国南東部、浙江省(Zhejiang Sheng)(セッコウショウ)の省都杭州(Hangzhou)の古称。
南宋(Nan Song)( 960~1279)を建国した高宗(Gaozong)時代の首都名。
仮の都という意味で、「行在(Xingzai)(コウザイ,アンザイ)」とも呼んだ。

言葉

(1)性理学 | 詳しく調べる

意味中国宋(ソウ)・明(ミン)代に程子・朱子などが唱えた儒学の一派。
「朱子学」,「程朱の学」,「理学」,「宋学」とも呼ぶ。

言葉

(1)南宋 | 詳しく調べる

意味中国宋代( 960~1279)の後半期の呼称(1127~1279)。
1127<靖康 2>金が侵入した靖康(セイコウ)の変で、江南に逃れた高宗が即位し、臨安(Lin’an)(現:杭州)に都して建国。
1279<祥興 2>元に滅ぼされる。〈歴代皇帝〉
第1代:高宗(Gaozong):1127~1162。
第2代:孝宗(Xiaozong):1162~1189。
第3代:光宗(Guangzong):1189~1194。
第4代:寧宗(Ningzong):1194~1224。
第5代:理宗(Lizong):1224~1264。
第6代:度宗(Duzong):1264~1274。
第7代:恭宗(Gongzong):1274~1276。
第8代:端宗(Duanzong):1276~1278。
第9代:帝(「日」冠+「丙」)(テイヘイ)(Di Bing):1278~1279。

言葉

(1)大慧宗杲 | 詳しく調べる

意味中国宋代、臨済宗楊岐派の僧侶(1089~1163)。
大慧の法話を侍者沖密慧然(Chongmi Huiran)が集録した、公案集『正法眼蔵(Zhengfa Yanzang)』(6巻)がある。
他に『大慧語録(Yulu)』・『大慧武庫(Wuku)』などの書がある。
「だいえそうこう(大慧宗杲)」とも呼ぶ。

言葉

(1)王陽明 | 詳しく調べる

意味中国明代の大儒・政治家(1472~1528)。名は守仁(Shou-ren)、号は陽明。浙江省(Zhejiang Sheng)(セッコウショウ)余姚(Yu-yao)(ヨヨウ)の人。
27歳で進士となり、地方官を歴任。江西・福建の流賊を討伐し、南昌・広西の反乱を鎮定して両広巡撫になったが不遇であった。
朱子学(宋学)の煩瑣(ハンサ)固陋(コロウ)を批判し、宋代の陸象山(Liu Xiangshan)(リク・ショウザン)の説を継承して、知行合一・致良知の説を主張して大成させた。
著書『伝習録』。

言葉

(1)宋型潜水艦 | 詳しく調べる

(2)ソン型潜水艦 | 詳しく調べる

意味中国海軍の攻撃型通常ディーゼル式潜水艦(SSK)。
「ソン級潜水艦」,「宋級潜水艦」,「039型潜水艦」とも呼ぶ。

言葉

(1)鉤勒填彩 | 詳しく調べる

意味中国絵画で花鳥画を描く技法の一つ。形体の輪郭を細い線描(センガ)きでくくり、その中を色彩で埋めること。
五代・宋初に黄氏一族によって完成された黄氏体の特徴。
輪郭線を描かない徐氏体の特徴である没骨(モッコツ)と対比され、「黄徐二体(コウジョニタイ)」の一つ。

言葉

(1)四書 | 詳しく調べる

意味儒教の古典、『大学(Daxue)』・『中庸(Zhongyong)』・『論語(Lunyu)』・『孟子(Mengzi)』の総称。
南宋の朱子(Zhuzi)(朱熹<シュ・キ>)が選定した儒教の必読書。

言葉

(1)十三仏 | 詳しく調べる

意味初七日から三十三回忌までの13回の追善供養(ツイゼンクヨウ)仏事に配当した仏・菩薩の総称。
< 1>初七日(シュナノカ,ショナヌカ)の不動(フドウ)秦広(シンコウ)王。
< 2>二七日(ニシチニチ,フタナヌカ)の釈迦(シャカ)初江(ショコウ)王。
< 3>三七日(サンシチニチ,ミナヌカ)の文殊(モンジュ)宋帝(ソウタイ)王。
< 4>四七日の普賢(フゲン)伍官(ゴカン)王(五官王)。
< 5>五七日の地蔵(ジゾウ)閻羅(エンラ,エンマ)王。
< 6>六七日の弥勒(ミロク)変成(ヘンジョウ)王。
< 7>七七日(シチシチニチ,ナナナヌカ)の薬師(ヤクシ)太山(タイザン)王(太山府君,泰山王)。
< 8>百箇日の観音(カンノン)平等(ビョウドウ)王。
< 9>一周忌の勢至(セイシ)都市(トシ)王。
<10>三周忌の阿弥陀(アミダ)五道転輪(ゴドウテンリン)王。
<11>七周忌の阿シュク(アシュク)蓮上王。
<12>十三回忌の大日(ダイニチ)抜苦王。
<13>三十三回忌の虚空蔵(コクゾウ)慈恩王。

言葉

(1)景徳 | 詳しく調べる

意味北宋(Bei Song)の真宗(Zhenzong)皇帝趙恒(Zhao Heng)の年号の一つ。
1004<景徳元>~1007<景徳 4>。

言葉

(1)程コウ | 詳しく調べる

意味北宋の学者(1032~1085)。字は伯淳(Bochun)、号は明道(Mingdao)。河南洛陽の人。
周敦頤(Zhou Dunyi)(シュウ・トンイ)に学び、宇宙の根本原理を乾元(ケンゲン)の気とし、「理」による道徳説を主唱。弟の程頤(Yi)(イ)とともに宋学の基礎を築いた。
著書は『定性書』など。
弟の頤(イ)とともに「二程子(Er Chengzi)」,「二程」と呼ばれる。

言葉

(1)朱子学 | 詳しく調べる

意味南宋の朱熹(Zhu Xi)(シュ・キ)(朱子)が大成した儒学の新体系。

言葉

(1)南海1号 | 詳しく調べる

意味南宋時代に南シナ海で沈没した交易船。

言葉

(1)楼船 | 詳しく調べる

意味古代中国の、甲板(カンパン)が数層に成っている大型木造船。特に、その軍船。
漢代以降、長江などの大河の水戦(スイセン)に使用された。
三国時代、呉の初代皇帝孫権(Sun Quan)、五楼船を建造。
宋・元代ころに消滅。

言葉

(1)タージ | 詳しく調べる

意味唐~宋時代の中国で用いた、アラビア人・イスラム教徒の呼称。

言葉

(1)名花十二客 | 詳しく調べる

意味宋の張景修が十二の名花を選び、十二種の客にたとえたもの。南画の画題とされる。
単に「十二客」とも呼ぶ。

言葉

(1)濂洛関ビンの学 | 詳しく調べる

意味宋学の四派の総称。
湖南濂渓:周敦頤(Zhou Dunyi)(シュウ・トンイ)。
河南洛陽:程コウ(Cheng Hao)(テイ・コウ)・程頤(Cheng Yi)(テイ・イ)。
陝西関中:張載(Zhang Zai)(チョウ・サイ)。
福建(ビン):朱熹(Zhu Xi)(シュ・キ)(朱子)。

言葉

(1)宋朝活字 | 詳しく調べる

意味宋朝体で作られた活字。

言葉

(1)塩瀬 | 詳しく調べる

意味室町時代、宋(中国)から渡来した僧(ソウ)林浄因(Lin Jingyin)(リン・ジョウイン)が奈良に開店した饅頭屋(マンジュウヤ)。
のち京都烏丸通・江戸日本橋にも出店。

言葉

(1)大輪田泊 | 詳しく調べる

(2)大輪田の泊 | 詳しく調べる

意味摂津(セッツ)(現:兵庫県)の和田岬の北側にあった、和田岬に抱かれた港。播磨五泊(ハリマゴハク)の一つ。現在の神戸港。
古くから瀬戸内海航路の要地で、12世紀に平清盛(タイラノキヨモリ)により日宋貿易の港として拡大修築していたが、平氏滅亡によって未完となる。
中世以降、「兵庫島」,「兵庫津(ヒョウゴノツ)」と改称。
「わだのとまり(輪田の泊,輪田泊)」とも呼ぶ。経が島),ふくはら(福原)

言葉

(1)宋朝体 | 詳しく調べる

意味木版または活字の書体の一つ。
中国宋代の木版印刷の書体を模した楷書(カイショ)体。直線的でやや右上がり、縦長く肉が細い。
単に「宋朝」とも呼ぶ。しょう(畢昇)

言葉

(1)長崎貿易銭 | 詳しく調べる

意味江戸前期に日本で鋳造された宋銭。
中国の明朝末期には騒乱で中国内での鋳銭が不足したことから、オランダ商人が日本の寛永通宝を輸出しようとしたが、日本国内の不足を心配した幕府から輸出を禁止されたため、長崎に鋳銭局を設けて宋銭の名称を持った銭貨を貿易用として鋳造したもの。1659~1685(万治 2~貞享 2)の26年間、鋳造された。
名称は、元豊通宝・祥符元宝・天聖元宝・嘉祐通宝・煕寧元宝・紹聖元宝・治平元宝など。(2)

言葉

(1)古文辞学 | 詳しく調べる

意味江戸時代、儒学者荻生徂徠(オギュウ・ソライ)が唱えた古学の一つ。
宋・明の儒学を否定し、伊藤仁斎(ジンサイ)の古義学より徹底した復古主義で、中国古代の言語(古文辞)や制度文物の研究によって先秦古典の本旨を知ろうとする訓詁学。儒学の政治的側面を強調する。
「徂徠学」,「享保学(キョウホウガク)」とも呼ぶ。

言葉

(1)円覚寺 | 詳しく調べる

(2)圓覺寺 | 詳しく調べる

意味神奈川県鎌倉市山ノ内にある臨済宗(リンザイシュウ)円覚寺派の大本山。瑞鹿山(ズイロクサン)大円覚寺興聖禅寺(コウショウゼンジ)。
蒙古襲来(元寇)を機に、1282(弘安 5)北条時宗が国家安泰を祈願して宋僧無学祖元(ムガク・ソゲン)を開山とし建立。鎌倉五山の第二位。
建長寺と並び代々北条氏の保護を受け、関東の臨済宗の中心となる。数度の火災により衰微。江戸末期、中興の誠拙(セイセツ)和尚により伽藍が復興。また明治初年に今北洪川(イマキタ・コウセン)・釈宗演(シャク・ソウエン)の師弟により臨済禅近代化の先鋒として復興。
鎌倉時代の代表的な禅宗寺院で、特に禅宗様建築の舎利殿や洪鐘(オオガネ)と呼ばれる梵鐘は国宝。
域内に18ヶ寺の塔頭(タッチュウ)がある。殿,圓覺寺舎利殿),ぶつにちあん(仏日庵,佛日庵),おおがね(洪鐘)

言葉

(1)圓覺寺舎利殿 | 詳しく調べる

意味神奈川県鎌倉市山ノ内の円覚寺塔頭、万年山正続院の境内にある唐様(カラヨウ)建築の遺構。一重裳階付入母屋造り。国宝。
源実朝が宋の能仁寺から請来した仏牙舎利を奉安する堂宇。

言葉

(1)普化宗 | 詳しく調べる

意味臨済宗(禅宗)の一派とされる仏教宗派。
中国唐代の風狂僧普化を宗祖とするが、尺八(シャクハチ)を吹いて諸国を巡行するほかに特に宗義(教義)らしいものはない。
1254(建長 6)入宋した東福寺の心地覚心(シンジ・カクシン)が普化宗の宗義と尺八吹奏とを学び伝えたという。
1677(延宝 5)ころ、江戸幕府が普化宗を公認。寺社奉行の統制下で、関西では京都妙安寺を、関東では下総一月寺・武蔵鈴法寺を本山としてその宗徒である虚無僧(コムソウ)を取り締まり、諸国通行の自由など種々の特権を与えた。
1871(明治 4)明治政府により廃宗。
「普化禅宗」とも呼ぶ。

言葉

(1)五教 | 詳しく調べる

意味釈尊一代の教説を内容の深浅などによって五種に分類したもの。
宋の慧観(エカン)の五時教判、天台宗の五時教、華厳宗(ケゴンシュウ)の五教十宗判など。

言葉

(1)阿骨打 | 詳しく調べる

意味金国(Jin Guo)の創建者、武元帝・女真族(Nyuzhen Zu)(ジョシンゾク)の一部族完顔部(Wanyan Bu)(ワンヤンブ)の族長(1068~1123)。在位:1115~1123。廟号(ビョウゴウ)は太祖([中]Taizu)。
契丹族(キッタンゾク)の遼(リョウ)の支配に反抗して挙兵、女真族を統一・平定し、遼を侵攻。
会寧府(カイネイフ)に都して、1115年金国を建てて独立。皇帝と称して、国内を整備し、中央集権制を確立。
1118年、宋(北宋)の遣使により、宋と結んで遼を挟撃(キョウゲキ)する。
1119年、完顔希尹(キイン)に命じて、契丹文字を摸した女真文字の大字を作らせる。
遼の燕京(エンキョウ)(現在の北京)を占領するが、まもなく病死。
「完顔阿骨打(ワンヤン・アクダ)」,「完顔旻阿骨打(ワンヤン・ミン・アクダ)」とも呼ぶ。

言葉

(1)党項 | 詳しく調べる

(2)タングート | 詳しく調べる

意味6世紀から14世紀にかけて中国西北辺境で活躍したチベット系の民族。
もと青海から四川・西康にいたる東方一帯にいたが、吐蕃(トバン)(チベット族)の圧迫を受けて東遷し、陝西(センセイ)・甘粛(カンシュク)地方に移り、後魏北周のころから中国に侵冦していた。この中で陝西の夏州にいた族長拓跋(タクバツ)思恭(Taba Sigong)は黄巣の乱の平定に功があり、唐から李姓を与えられた。
宋代にオルドスに拠って西夏(1038~1227)を建国したのは、その子孫李元昊(Li Yuanhao)(リ・ゲンコウ)である。13世紀にモンゴル帝国に滅ぼされた。
現在は青海地方に住む。

31件目から59件目を表示< 前の30件
[戻る]