「リス」に関係する言葉
「リス」に関係する言葉の一覧を表示しています。 検索結果が多い場合は文字数で絞ることが可能です。31件目から60件目を表示 | < 前の30件 | | | 次の30件 > |
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意味 | (The Last Emperor)イタリア・イギリス・中国の合作映画。
監督:ベルナルド・ベルトルッチ(Bernardo Bertolucci)。 音楽;坂本龍一(リュウイチ)ら。 |
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意味 | (the Stagirite)スタゲイラ生れであったアリストテレスの別称。 |
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意味 | (Vauxhall Road)イギリスの首都ロンドン、テムズ河畔南ランペス(South Lambeth)地区の通り。ボクソール橋(Vauxhall Bridge)、地下鉄や国鉄のボクソール駅(Vauxhall Station)、ボクソール公園(Vauxhall Park)などがある。 |
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意味 | ([学]Aristotelia chilensis)カタバミ目(Oxalida-les)ホルトノキ科(Elaeaocarpaceae)アリストテリア属(Aristo-telia)の常緑低木。
チリ南部のパタゴニア原産。 |
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意味 | ([英]count)糸の太さを表す単位。
イギリス式で綿糸の場合、1ポンド(約454グラム)で1綛(カセ)を一番手、2綛を二番手、3綛を三番手、10綛を十番手と呼び、番手が大きいほど糸は細くなる。 綛は長さの単位で840ヤード、約768メートル。 |
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意味 | ([英]fox hunting/foxhunt)イギリス伝統の貴族的スポーツの一種。
猟犬を放って野生のキツネを追い詰め、馬に乗ったハンターが銃で仕留める狩り。 |
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意味 | ([英]mangonel)古代・中世に用いられた投石器。
大きな弓の綱を梃子(テコ)の原理で引いて繋(ツナ)ぎとめ、その梃子の先に石を載せる装置。 城壁や崖(ガケ)の上などに設置し、敵が近づくのを見計らって綱を戻し、石を弾き飛ばして敵を殺傷する。 「マンゴネル」,「カタパルト([英]catapult)」,「バリスタ([英]ballista)」,「ブリコール([英]bricole)」,「とうせきき(投石器,投石機)」,「弩砲(ドホウ)」とも呼ぶ。 また、バネ仕掛けのものは「アーバリスト([英]arbalist,ar-balest)」と呼ぶ。 |
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意味 | (イギリスで)(1)から暗黒時代(the Dark Ages)を除いた、1000年または1100年ころから15世紀まで。 |
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意味 | (イギリスで)ロンドンの地下鉄。 |
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意味 | (イギリスで)不等辺四辺形。 |
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意味 | (イギリスで)公開有限委任会社の略称。 |
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意味 | (イギリスで)台形。 |
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意味 | (イギリスで)有限会社の略記。 |
言葉 | (1)ハング・パーラメント | 詳しく調べる |
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意味 | (イギリスなどで)与党が単独過半数(overall major-ity)の議席に達しない議会。 |
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意味 | (イギリスの世襲階級の最下位)准男爵。
一代限りのナイト(knight)の上位で、世襲ではあるが貴族ではなく、姓の前にナイトと同じ「サー(Sir)」の称号が許される。勲章) |
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意味 | (イギリス・ドイツで)数の単位。10の48乗。 |
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意味 | (イギリス人から)フランス人への蔑称。 |
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意味 | (イギリス軍で)陸軍の大佐。 |
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意味 | (キリスト教で)しかあれかし(そうなりますように)。 |
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意味 | (キリスト教で)個々の人間が自己の意思に基づいて犯した罪。 |
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意味 | (キリスト教で)復活祭(イースター)直前の日曜日。聖週間(Holy Week)の日曜日。
「枝(エダ)の主日」とも呼ぶ。 |
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意味 | (キリスト教で)聖人の伝記物語。聖者伝・聖徒伝。 |
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意味 | (キリスト教の)聖職者・牧師。 |
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意味 | (キリスト教徒から見て)異教徒。 |
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意味 | (フランス語で)ユリ(百合)の花([英]flower of the lily)。
特に、白いジャーマンアイリス([学]Iris germanica)の花とされる。 |
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意味 | (マレー語で)ロリス([英]loris)。 |
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意味 | (初期キリスト教時代の)隠修士(recluses)。 |
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意味 | (度量衡が)イギリス法定の。 |
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意味 | (特に)イギリスの二代目グレー伯爵で政治家のチャールズ・グレイ(Charles Grey)。 |
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意味 | (特に、イギリスで)サンザシ(山査子)の別称。 |
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意味 | (英語で)生徒。
イギリスでは大学生(student)より下の生徒、アメリカでは小学生を指す。 |
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意味 | (転じて)イギリスの金融界・金融市場。 |
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意味 | (転じて)キリスト教・ユダヤ教・イスラム教を信じない異教徒。 |
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意味 | (転じて、現在の)イギリス人・英国人。 |
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意味 | 1199から1216までのイギリスの王 |
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意味 | 1258年イランに建国されたモンゴルの王国。
ジンギス汗の孫で、フビライの弟フラグ(Hulagu)(旭烈兀)がアッバス朝のカリフ政権を倒し、カスピ海南西のタブリースに都して建てた。モンゴル帝国の4汗国のうち、最も元朝に友好的であった。 シリアの領有をめぐってエジプトのイスラム帝国マムルーク朝と争ったので、初めイスラム教に反対しネストリウス派のキリスト教を支持して、ローマ教皇やキリスト教国に接近した。 しかし、13世紀末に即位した第7代ガザーン・ハンはイスラム教を国教と定め、文化の興隆につとめた。宰相ラシード・ウッディンのモンゴル族の歴史『集史』も編纂された。 14世紀になるとハン位争奪の内乱も起って衰退し、1393年ティムールの攻撃を受けたのち分裂して1411年滅亡した。 「イル・カン国(イル汗国,伊児汗国)」とも呼ぶ。 |
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意味 | 13世紀初頭、西ヨーロッパの諸都市を基盤に生れた、新形式のキリスト教の修道会の総称。
フランチェスコ会・ドミニコ会・カルメル会など。 定住・観想を旨として封建貴族化した従来の修道会に対抗し、特定の修道院に定住せずに清貧を理想とし、托鉢で信徒の喜捨を受けながら市民の中で生活し、布教活動や社会奉仕を行った。 またスコラ哲学を研究し、異端撲滅にも尽力した。 「托鉢僧団」,「托鉢教団」とも、俗に「乞食僧団」,「乞食教団」とも呼ぶ。 |
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意味 | 14世紀ころ、北アフリカ沿岸(Barbary Coast)を荒らした私掠船(シリャクセン)(privateer)。
オスマントルコ帝国などのイスラム教国から承認を得て、キリスト教団の船を略奪していた。 |
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意味 | 1547年から1553年までのイギリスとアイルランドの王 |
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意味 | 15世紀末、インド北部のパンジャブ地方を中心に興隆した宗教。一神教。
ヒンズー教徒のナーナク(Nanak)(1469~1538)が、初代グル(guru)(師)となって創始。イスラム教の影響を受けてヒンズー教を改革して、偶像崇拝・カースト制度を否定し、唯一の創造神の熱狂的な崇拝を唱えた。 第5代グルのアルジュン・シン(Arjun Singh)(1563~1606)がムガール帝国の迫害を受けて死亡。以後、シーク教団の反イスラム色が強まってしだいに軍事的傾向を帯びる。 第10代グルのゴービンド・シン(Govind Singh)(1666~1708)は軍事的宗教団体カールサー(the Khalsa)を組織し、教団国家建設を求めてムガール帝国に対抗。 19世紀初頭、ランジート・シン(Ranjit Singh)(1780~1839)がパンジャブ地方のラホール(Lahore)を中心にカシミールをあわせてシーク王国(Sikh kingdom)を建設。彼の死後、イギリス支配に反抗して2度のシーク戦争(the Sikh Wars)を起こしたが敗れて、イギリスはパンジャブ地方を含め全インドの支配を確立。 インド独立にも貢献(アムリツァル事件)し、1947(昭和22)インド・パキスタン分離独立の際にはインド帰属を選んだ。 その後、自治権やシーク独立州(Sikh state)(カーリスターン 「シク教」とも呼ぶ。ムリツァル事件),[2]がんじー(ガンジー),かびーる(カビール) |
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意味 | 1688~1689(元禄元~1689(元禄 2)イギリスの市民革命。
ジェームズ二世(James II)の専制政治によるカトリック国教化に対抗して、議会は新教徒でジェームズ二世の長女メアリ(Mary)とその夫オレンジ公ウィリアム(William Prince of Or-ange)をオランダから招請。孤立したジェームズ二世は国外に逃亡。 1689(元禄 2)メアリ二世およびウィリアム三世(William III)として王位について共同統治。 |
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意味 | 16~18世紀、スペイン国王がラテン・アメリカやフィリピンの植民地で征服者や開拓者に委託した所領・制度。
原住民の保護とキリスト教化の委託という形式であったが、使役と徴税を認められた植民者(エンコメンデーロ)たちは事実上この土地を所有かつ世襲し、原住民を徹底的に搾取した。 18世紀以降は征服が一段落してその役割が終わりしだいに消滅した。 |
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意味 | 1723年(または1717年)ロンドンで設立された国際的秘密結社。
会員相互の扶助と友愛を目的とする秘密結社で、自由・平等・博愛をモットーとし特定の政治目的を持たないといわれるが、一方で古代的・異教的(非キリスト教的)儀礼が採用され閉鎖性が強い。 それぞれの国や州に本部があり、その下にロッジ(lodge)(支部)と呼ばれる構成単位を持つが、活動は各地域で独立して行なわれ、すべてを統括する上部組織はないとされる。 会員だけが知る秘密儀式や合い言葉などを持つ。 「フリーメイソン」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1781年にコーンワリス率いる英軍は米仏軍に3週間包囲された後、投降した |
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意味 | 1799(寛政11)ナポレオン一世(Napoleon I)のエジプト遠征の際、ナイル河口の町ロゼッタ(ラシード)で一将校により発見された碑石。高さ114センチメートル、幅72センチメートル。
黒色の玄武岩に2種の古代エジプト文字(ヒエログリフック・デモティック)とギリシア文字の3書体で同一内容が刻まれていたため、エジプト文字解読の手がかりとなった。 1822(文政 5)フランス人シャンポリオン(J.F.Champollion)がヒエログリフを解読。紀元前 196年に起草され、エジプトの神官たちの総会の決議による、エジプト王プトレマイオス五世(Ptolemaios V)の頌徳(ショウトク)碑であった。 1801(享和元)イギリス軍に没収され、現在は大英博物館(the British Museum)が所蔵。 |
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意味 | 17世紀に西欧諸国が東洋貿易のためにインドに設立した特許会社。
1600年、イギリス東インド会社設立(~1858)。インド領を英国王に献上して会社を解散。 1602年、オランダ東インド会社(VOC)設立。ナポレオン戦争により、1799年解散。 1604年、フランス東インド会社設立。1664年、東インド会社を再建。18世紀中頃、インドにおけるイギリスとの交戦に敗れたので会社を解散。 1614(慶長19)オランダ東インド会社、アメリカのマンハッタン島をインディアンから24ドルで買い上げる。 |
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意味 | 17~18世紀、カトリック諸派が中国人信徒の典礼への参加を認めるか否かを論争した布教に関する問題。
孔子崇拝や祖先崇拝などの儒教的な伝統儀礼(典礼)をめぐって、容認するイエズス会と否認するドミニコ派・フランチェスコ派などが対立。 1704(宝永元)<康煕43>ローマ教皇が典礼を否認。これを受けて康煕帝(Kangxi Di)(コウキテイ)はイエズス会以外の布教を厳禁。 1723(享保 8)<雍正元>雍正帝(Yongzhong Di)(ヨウセイテイ)はキリスト教の布教を全面的に禁止し、宣教師をマカオに追放した。 |
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意味 | 1808(文化 5. 8.)イギリス軍艦フェートン号(the Phae-ton)がオランダ国旗を掲げて長崎港に不法侵入した事件。
同艦に赴(オモ)いた長崎奉行所役人・通詞・オランダ商館員を捕(トラ)らえて薪水・食糧などを強要し、引き換えに人質を解放して出港・退去した。 ナポレオン戦争でイギリスとオランダが敵対関係になっていたことから、フェートン号は長崎に入港する予定のオランダ商船拿捕(ダホ)のため待ち構えていたが、商船が察知して現れなかったため薪水・食糧が少なくなっていたもの。 |
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意味 | 1814. 5.~1816(文化11~文化13)ネパール・グルカ王朝とイギリスとの間に行われた戦争。
1816. 2.28(文化13)ネパールはスガウリ条約(Treaty of Sa-gauli)を調印し、シッキムとテライを譲渡しイギリスの支配に入る。 |
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意味 | 1838~1848(天保 9~嘉永元)イギリスで展開された労働者階級の選挙権獲得運動。
1832(天保 3)選挙法改正で労働者には選挙権が与えられなかった。 1839(天保10)集会(Convention)で人民憲章(People’s Charter)を作成して議会に請願したが、拒否されてストライキで対抗。 弾圧を受けて1848(嘉永元)以降は衰退した。 「チャーチズム」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1841. 5.(天保12)中国南東部の広東省(Guangdong Sheng)広州(Guangzhou)北西方でイギリス軍を襲撃した民衆の一団。
1840(天保11)<道光20>アヘン戦争でイギリス軍が広東省を占領。 イギリス軍の略奪や暴行に憤激した三元里(Sanyuanli)の村民は決起。百以上の村民が加わり平英団の旗を掲げてイギリス軍の一部を包囲。広州知事の調停で解放した。 |
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意味 | 1854(嘉永 7)江戸幕府がアメリカの全権ペリー(M.C.Perry)と結んだ条約。
ペリーが武力を背景に幕府と交渉し、締結・調印したもの。 貿易の規定はなかったが、日本開国の第一歩となった。 のち、幕府は同様の条約をイギリス・フランス・ロシア・オランダと締結している。 |
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意味 | 1857. 5.(安政 4)に起きたインド最初の反英戦争。
19世紀初頭以来、インド人の反英意識が高まり、これがセポイにも影響。イギリス軍の弾薬筒に牛・豚の脂を使用しているとのうわさが流れたのが誘因となって、北インドのメールト(Meerut)のセポイが武装反乱を起してデリーを占領。数ヶ月後には農民・封建土侯も合流し北インド全域に拡大。ムガール帝国の皇帝を擁立したが、人望がなかっため反乱軍の内部が分裂、イギリス本国から派遣された軍隊の出動によって1859. 7.(安政 6)ようやく鎮定された。 この結果、ムガール皇帝が廃されてムガール帝国は滅亡し、インド統治権が東インド会社の手からイギリス本国政府の直接支配に移された。 |
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意味 | 1862(文久 2. 8.)。
薩摩の島津久光が江戸からの帰途、横浜の生麦村で行列の前方を騎馬で横切ったイギリス人を殺傷した事件。 |
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意味 | 1869(明治 2)開設された藩校洋学所を基に、1871(明治 4)熊本城内に設立された藩校。
設立の目的は、きたるべき第二の維新に備え熊本藩が薩長にまじり中央に進出すべき人材を養成するものであった。 アメリカ留学から帰った横井大平(小楠の甥)の献策により、小楠の流れをくむ肥後実学党がアメリカ軍人ジェーンズ(L.L.Janes)を教師に迎えて開校、キリスト教主義の様式教育を施す。主として旧藩の子弟が就学。海老名弾正(エビナ・ダンジョウ)・小崎弘道(コザキ・ヒロミチ)・徳富蘇峰(トクトミ・ソホウ)らが学ぶ。 1876. 1.30(明治 9)キリスト教結社の熊本バンド(花岡山奉教盟約)の問題にからみ、同年閉鎖。奉教の学生の多くは京都の同志社(校長:新島襄)に移る。 |
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意味 | 1871年、中国新疆(Xinjiang)(シンキョウ)地方のイリ(Ili)をロシアが占領した紛争。
1862年甘粛(カンシュク)・陝西(センセイ)でイスラム教徒が反乱を起こし、新疆におよぶとロシアはイリ地方を占領した。清の左宗棠(Zuo Zongtang)(サ・ソウトウ)は1878年イリ地方以外の新疆の乱を平定し、1879年リバディア条約(the Treaty at Livadia)を締結したが不利な条項から批准されず左は召還された。 イギリスとフランスの調停で1881年イリ条約が締結され、イリ地方は一部を除き返還された。(イリ条約,伊犁条約) |
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意味 | 1874(明治 7)西郷従道(ツグミチ)が台湾蛮地事務都督として征台。
台湾に漂着した琉球漁民が高山族(高砂族)に殺害された事を口実に、出兵し台湾に上陸。イギリス公使の斡旋(アッセン)で清国から遺族への撫恤金(ブジュツキン)など償金50万両(テール)を得て和約。 軍事輸送は政府が買い入れた13隻の汽船の依託を受けた岩崎弥太郎(ヤタロウ)の三菱商会が行った。 「征台の役」,「台湾出兵」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1884年にジョージ・ワシントンを尊敬するためにワシントンで建設された石のオベリスク |
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意味 | 1888(明治21)イギリスと中国清朝との間の条約。
中国西部の新疆省(シンキョウショウ)東トルキスタン・チベット(西蔵)と、英領インド北部のカシミールとの国境を画定。 |
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意味 | 1894(明治27)日本とイギリスとの間に、1858(安政 5)の日英修好通商条約(安政条約)を改正して結ばれた条約。
1894. 7.16(明治27)ロンドンで駐英公使青木周蔵と英国外相キンバレー(Kimberley)が調印、 8.27公布。1899. 7.17(明治32)、条約施行。 条約の内容は<1>関税自主権の部分的回復、<2>日本内地の開放、<3>領事裁判権の撤廃などを規定。 1911. 5. 5(明治44)批准書の交換により、この条約は破棄。 |
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意味 | 18世紀、イギリスの軍艦バウンティ号(220トン)で起きた乗組員の反乱。
1789. 4.28(寛政元)乗組員が南太平洋で反乱を起こし、船長ブライと18人をボートに乗せて追放。 |
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意味 | 18世紀に行われたマイソール藩王国(Princely State of Mysore)とイギリス東インド会社との戦争。
第一次:1767~1769年。 第二次:1780~1784年。 第三次:1789~1792年。 第四次:1798~1799年。 |
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意味 | 1914. 1.23(大正 3)の外電により発覚した海軍・三井物産などの贈収賄事件。
日本海軍に軍需品を納入していたドイツのシーメンス・シュッケルト電気会社(Siemens Schuckert Werke AG)が、解雇した元東京支店の社員カール・リヒテル(Karl Richter)に重要書類を盗まれて脅迫されていた。帰国した社員が逮捕、ベルリン地方裁判所で恐喝罪懲役2年の判決を受け、その結果同社の日本海軍高官に対する贈賄が明らかにされ、日本にロイター通信の電報で報じられる。 続いてイギリスのビッカース社(Vickers-Armstrong Ltd.)と代理店三井物産が軍艦金剛(コンゴウ)の建造に絡んでの贈賄も発覚する。 海軍力の大拡張を計った海軍出身の第1次山本権兵衛(薩摩藩閥)内閣に不満の立憲同志会領袖(リョウシュウ)島田三郎ら野党は予算委員会でこの問題を追及する。 1.28海軍に査問委員会が設けられ、同年1月藤井光五郎海軍少将・沢崎寛猛(ヒロタケ)海軍大尉、2月呉鎮守府指令長官松本和(カノウ)中将や三井物産重役岩原謙三らが諮問・家宅捜査を受け、検挙される。 2.10同志・国民(犬養毅)・中正(尾崎行雄)の3党派は内閣弾劾決議案を提出する。同日、日比谷の内閣打倒国民大会が開かれ、数万人が国会議事堂を取り囲んだ。政友会の松田源治が民衆を暴民と演説したことが伝えられ、激昂した民衆が議会の正門を破壊。弾劾案が与党政友会により否決され、民衆はさらに政府系の中央新聞社や毎夕新聞社にデモをかける。議事堂に閉じ込められた閣僚や与党議員は陸軍に出動を依頼するが動かず(陸軍の予算は翌年に回されていた)、警官に抜剣させて脱出、このとき東京日日新聞社の記者橋本繁が負傷する。遅れること数時間、麻布の第三連隊から1個大隊が出動。 3.15貴族院で山県派議員により予算案が否決され、山本内閣は 3.24引責総辞職する。 5.29松本中将らの海軍将官・佐官は軍法会議で懲役の宣告を受ける。 「シーメンス・ビッカース事件」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1919. 3.(大正 8)イギリスのインド政庁が制定した緊急刑事特別法。
第一次世界大戦を契機に高まったインド人の民族解放運動の弾圧を目的とした治安法令で、インド総督に基本的人権を無視した刑事上の非常大権を与え、インド人を無審理(令状なし・裁判なし)で逮捕・投獄しうることなどを内容とした。 6ヶ年の期限付きであったが、民族運動に対して逆効果となり、現実には適用されなかった。 |
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意味 | 1920. 4.(大正 9)イタリアのサンレモで開催された、第一次世界大戦の戦勝国の対トルコ帝国案に関する会議。
シリアをフランスの、パレスチナ・イラクをイギリスの委任統治領とするなどの、セーブル条約の内容を決定。 |
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意味 | 1922. 2. 6(大正11)ワシントンで締結された中国に関する条約。
イギリス・アメリカ・フランス・イタリア・日本・オランダ・ベルギー・ポルトガル・中国が調印。 一国が中国での利益独占を防止するため、中国の主権尊重・領土保全・門戸開放・機会均等などを規定。 「くこくじょうやく(九国条約)」,「中国九ヶ国条約」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1925. 5.30(大正14)中国上海(シャンハイ)で起った反帝国主義の民族運動。
同年2月日本人が経営する上海の紡績工場で中国人労働者の労働争議が起き、ついに内外綿工場の争議で死傷者が出た。日本人の工場で始まったにもかかわらず、イギリス人署長が発砲命令を出したことから、 5.30これに抗議する学生の游行隊が共同租界に入りイギリス官憲と衝突、英仏陸戦隊が発砲して多数の死傷者が出た。 この事件を発端として各地に波及し、上海のみならず漢口・南京・天津など各地で反帝運動が行われた。 特に広東・香港の場合は「沙面事件(Shamian Shijian)」と呼ばれ、対英ゼネストに発展、同年6月から16ヶ月間にわたり外国人に対する食料・水道の供給を絶ち、中国人の使用を禁止した。 |
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意味 | 1929~1937(昭和 4~昭和12)イギリスのロンドン北西の郊外にあった精神病院。 |
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意味 | 1933. 6. 7(昭和 8)大阪天六(現:北区天神橋6丁目)交差点で巡査が、信号無視の兵士をとがめた事件。
皇軍の威信を傷つけられたとする軍(大阪八連隊)と、当然の職務とする警察の対立に発展。府警トップの粟屋仙吉はクリスチャンで、納得できないことには譲歩しなかった。 |
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意味 | 1938. 9.(昭和13)独・英・仏・伊の首脳がミュンヘンで開いた、チェコスロバキア領ズデーテン地方(Sudetenland)の帰属に関する会談。
オーストリアを併合したドイツがチェコスロバキア政府にズデーテン地方の割譲を迫った問題で、ドイツのヒトラー、イギリスのチェンバレン、フランスのダラディエ、イタリアのムッソリーニがミュンヘンで会談を行った。 ヒットラーの強硬な態度に、イギリス・フランスは譲歩し、9月29日ズデーテン地方をドイツへ帰属させることに決定。 「ミュンヘン会議」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1940. 1.21(昭和15)イギリス海軍の軽巡洋艦リバプールが千葉県沖で浅間丸を臨検した事件。
ドイツ人船客21人が引致(インチ)される。 |
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意味 | 1942. 2.26(昭和17)。
日本海軍第五戦隊の魚雷攻撃によりオランダ巡洋艦「デ・ロイテル」・「ジャワ」、イギリス駆逐艦「エレクトラ」、オランダ駆逐艦「コルテネル」の4隻が撃沈。 |
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意味 | 1947年、クリスチャン・ディオールが発表したニューシルエット。第二次大戦中のミリタリールックなど男っぽい服に対し、優しい方の線、細いウエスト、すそ広がりのスカートといった女性的でエレガントなシルエットが特徴。モードの中に女性らしさを蘇らせたということで当時としては画期的。ハーパース・バザール誌の編集長カーメル・スノウが「ニュー・ルック」と呼び、この名前が広まった。 |
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意味 | 1949.11. 9(昭和24)国民政府交通部に帰属していた中国航空公司と中央航空公司が中国人民政府への帰属を表明し、中国民用航空局に機材を提供した事件。
1946(昭和21)国共内戦が勃発すると、両航空会社は国民党軍の軍事輸送に活躍。 1948(昭和23)国民党軍が不利になって本拠地を上海からイギリス統治下の香港に移転。しかし、イギリスの航空会社との摩擦から立ち退きを求められ、中国共産党の地下工作に応じたもの。 |
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意味 | 1950年代、イギリス領ケニアで反英植民地闘争を行なった秘密結社。
キクユ族(Kikuyu)を中心とする解放運動組織で、後のケニア独立闘争に大きな影響を与えた。 独立後も、キクユ族が国家機関の中枢を占めている。 「マウマウ団」とも呼ぶ。 |
言葉 | (1)カラミティー・ジェーン | 詳しく調べる |
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意味 | 1953(昭和28)アメリカ映画。
監督:デビッド・バトラー(David Butler)。 出演:ドリス・デイ(Doris Day)。 |
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意味 | 1956.10.(昭和31)スエズ運河をめぐり、エジプトとイギリス・フランス・イスラエルの3国との間に起きた武力紛争。
「スエズ戦争(Suez War)」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1960(昭和35)公開のアメリカ西部劇(ウエスタン)映画。
監督:ジョン・スタージェス(John Sturges)。 出演:ユル・ブリンナー(Yul Brynner):クリス(Chris Ad- ams)役。 スティーブ・マクィーン(Steve McQueen):ビン(Vin) 役。 チャールズ・ブロンソン(Charles Bronson):オライ リー(Bernardo O’Reilly)役。 ジェームズ・コバーン(James Coburn):ブリット (Britt)役。 ロバート・ボーン(Robert Vaughn):リー(Lee)役。 ブラッド・デクスター(Brad Dexter):ハリー(Harry Luck)役。 イーライ・ウォラック(Eli Wallach):カルベラ(Cal- vera)役。 |
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意味 | 1960年代後半に分離派としてペルーでペルーの共産党から形成されたテロリスト集団 |
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意味 | 1962年にイギリスからの独立を成し遂げた |
言葉 | (1)サウンド・オブ・ミュージック | 詳しく調べる |
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意味 | 1965(昭和40)公開のアメリカのミュージカル映画。
監督:ロバート・ワイズ(Robert Wise)。 出演:ジュリー・アンドリュース(Julie Andrews):マリア(Maria)役。 クリストファー・プラマー(Christopher Plummer):フォン・トラップ大佐(Captain Georg von Trapp)役。 |
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意味 | 1991(平成 3)厚生省(現:厚生労働省)がイギリスの看護婦ナイチンゲールの誕生日の5月12日を「看護の日」、この日を含む1週間を「看護週間」と定めたもの。 |
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意味 | 1995年に組織されて、アルカイダと提携していたリビアのテロリストのグループ |
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意味 | 19世紀、インドを植民地化したイギリスと南下する帝政ロシアが、アフガンに対して行った覇権争い。 |
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意味 | 19世紀中ころ、インド北西部を支配していたシーク教徒とイギリス軍との間に起きた2度にわたる戦争。
第一次:1845~1846。 第二次:1848~1849。 「シク戦争」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1つの大きな石(しばしば柱またはオベリスクの形態で) |
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意味 | 20世紀初頭、イギリスとチベットで結ばれた条約。
1903.12.11(明治36)イギリスの武装使節団(military mis-sion)がインドのシッキムからチベットに侵攻。 1904. 8. 3(明治37)武装使節団がラサを占領し、ダライラマ十三世はモンゴルに亡命。 1904. 9. 7(明治37)武装使節団、ラサ三大寺院のセラ寺・デプン寺・ガンデン寺の代表らとポタラ宮で強引に条約を締結し、チベットは実質的にイギリスの保護国となった。 ロシアの南下政策に対抗して行われたもの。 |
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意味 | B.C.400年より以前にアテネのアクロポリスに築かれた |
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意味 | 「紡錘(ぼうすい)」の意で、それに似た、腰部が膨らみ、トップやボトムがすぼまったライン。スピンドルラインとは、’57年にクリスチャン・ディオールが発表したラインで、シャトル・ライン、フュゾー・ラインともいう。 |
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意味 | 『新約聖書』で、処女マリアにキリストの懐胎を告知する大天使。アベ・マリア),あんじぇらす(アンジェラス) |
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意味 | 『新約聖書』の中の一書(四福音書の第三福音書)。
使徒パウロの伴侶であった医師ルカ([羅]Lukas)が、異教徒のキリスト教への改宗のためイエスの生涯を述べて、その救霊が異教徒にまで及ぶことを著したもの。 「ルカ伝(路加伝)」とも呼ぶ。 略称は「LUK」。 |
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意味 | あなたが保護されている際の(保険によって)リスクを防ぐ動機の欠如 |
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意味 | ある仕事で使われる単語のリスト |
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意味 | ある種の心臓病の治療のためにジギタリスを投与すること |
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意味 | お守り。魔除け。
「タリスマン(talisman)」,「タリズマン」とも呼ぶ。 |
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