「け」に関係する言葉
「け」に関係する言葉の一覧を表示しています。 検索結果が多い場合は文字数で絞ることが可能です。91件目から120件目を表示 | < 前の30件 | | | 次の30件 > |
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意味 | (ドイツ語で)乗用車の略号。
「ペーカーベー」,「ぴーけーだぶりゅ(Pkw,PKW)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (ドイツ語で)日除(ヨ)け。 |
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意味 | (フェンシングで)突け。
アロンジェブラ(allongez le bras)(腕を伸ばし剣を突き出した姿勢)から大きく踏み出すこと。 |
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意味 | (フランス語で)けばけばしく飾った、ど派手な。 |
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意味 | (フランス語で)もし、よろしければ。どうぞ。 |
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意味 | (フランス語で)日除(ヨ)け。 |
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意味 | (プラグを受ける)ソケット・コンセント。
「レセプタクル」とも呼ぶ。 |
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意味 | (ホテル・レストランなどの)給仕人の助手・給仕見習い。
食事の終わった食卓をかたづけたり、汚れた皿を洗ったりする人。 |
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意味 | (中国で)官庁の公文書。
もと、辺境との往復文書など永久保存する公文書を指した。書かれていた多数の木札を、革紐(カワヒモ)で貫いて壁にかけて吊(ツ)るして保存していたが、その形がカマチ(框)に似ていたことから名付けられた。のち、紙に書かれたものも呼ばれるようになった。 「档子(トウシ)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (中国・日本で)(1)を原料とした、細長い乾麺(干麺)。
熱湯につけて戻し、焼きそばのように野菜・肉と炒(イタ)めたり、あん掛けにしたり、スープの具にもする。 中国南部・台湾で多く食べられている。 |
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意味 | (人が物を)注意深く見続けること。 |
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意味 | (人と人が)互いに、鋭くにらみ付け合うこと。 |
言葉 | (1)トレーディングポスト | 詳しく調べる (2)トレーディング・ポスト | 詳しく調べる |
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意味 | (住民の少ない地域や未開地に設ける原住民との)交易所。 |
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意味 | (体言・動詞の連用形について)そのようなふりをして、またはそのことにかこつけて、自分の利益をはかること、を表す語形要素。
「こかし」とも呼ぶ。 |
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意味 | (偶然に)発見すること。
「みっけ(見付け)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (制度・慣習としての)刀剣を身につける帯刀(タイトウ)を廃止すること。
「廃刀(ハイトウ)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (動詞に付けて)「行動・状態・性質」を表す語形成要素。 |
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意味 | (印刷機の)圧盤・圧胴。
版面に用紙を押し付けるもの。 |
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意味 | (取引などで)便宜上に使われる名義だけの人。 |
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意味 | (受け取る)芸道を会得する才能。 |
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意味 | (否定構文で”a”をつけて)少しも、ごくわずかも。 |
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意味 | (国栖)能の一つ。五番目物。作者未詳。
大友皇子に追われた大海人皇子(オオアマノオウジ)(子方)が供奉(グブ)の者を伴って都から吉野の国栖に遁(ノガ)れる。吉野川の岸にいた漁夫の老夫婦に隠してもらい追っ手の難を逃れる。夫婦は夜更けに消え失せ、やがて天女が、次いで蔵王権現が現われ祝福を受ける。 |
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意味 | (報道・記事など)その筋の内意を受けた。 |
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意味 | (庭園・公園などの)あずまや(東屋)。柱と屋根だけの休息所。 |
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意味 | (意見などが)受け売りの、陳腐(チンプ)な、独創的でない。
「レディーメード」とも呼ぶ。 |
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意味 | (日本で)競技で、応援の掛け声。 |
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意味 | (昔の法律で)訴えが偽証(ギショウ)などの場合に、逆に訴えた者に罪の制裁を受けさせること。 |
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意味 | (昔話などに登場する)泥や土で作った船。
初めは水に浮いているが、しだいに溶け出して沈んでしまう。 「つちぶね(土船)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (朝鮮語で)人に呼びかける言葉。もしもし。 |
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意味 | (東北・北陸方言で)川岸や滝などの結氷(ケッピョウ)。また、春先に融(ト)けて川を流れ下るもの。
「川の流氷」とも呼ぶ。 |
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意味 | (株)マンナンライフ(Mannan Life)社製の菓子。
フルーツ果汁で味付けした、ポーション容器(ミニカップ)入りのこんにゃくゼリー。 |
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意味 | (母音の上につける)短音記号。
母音が単音であることを示すU字型の記号。 |
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意味 | (比喩的に)重大な事を起こすきっかけとなる目立った行動。 |
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意味 | (江戸時代の上方で)官許以外の遊里。
寛政年間から天保(1789~1844)ころにかけての流行語。 「島(シマ)」,「岡場所(オカバショ)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (液体に)溶ける。 |
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意味 | (特に)(1)に似た、器量の悪い女の人をあざけっていう言葉。
「おかめ(お亀,阿亀)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (特に)イギリスの(4)の国家資格。
専門教育を受けて、出産直後から小学校の入学ころまでの世話を行う住み込みのベビーシッターを兼ねる家庭教師。 |
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意味 | (特に)オフセット印刷などで、版に焼き付ける原板から作った、印刷直前の校正用の青写真。 |
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意味 | (特に)ヤマノイモの葉のつけ根に生ずるイモのような珠芽。
「ぬかご(零奈子)」とも呼ぶ。薯蕷) |
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意味 | (特に)刀剣を赤熱して水につける。 |
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意味 | (特に)原水爆の被害を直接、またはその放射能の被害を受けること。る(第五福竜丸),くろいあめ(黒い雨),なつのはな(夏の花),はだしのげん(はだしのゲン) |
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意味 | (特に)国家が独立強固で、外国の侵略を一度も受けたことがないこと。 |
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意味 | (特に)日米物品役務相互提供協定の略称。
正式名称は「日本国の自衛隊とアメリカ合衆国軍隊との間における後方支援、物品(食料・燃料など)又は役務(整備・修理など)の相互の提供に関する日本国政府とアメリカ合衆国政府との間の協定」。 日米安保保障条約の円滑な運用を図ることを目的とする。条約) |
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意味 | (特に)絞首刑の際、首に縄をかけられた死刑囚が立つ踏み板。約1.1メートル四方。
執行時に足元の板が開き、約4メートル下の階下部分に落ちて死刑囚の体重で縄が締まる。 |
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意味 | (特に)衣服にブラシをかける。 |
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意味 | (特に)見当をつけた所。 |
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意味 | (特に)髪を左右に七対三の割合に分けること。また、その髪形・結い方。
単に「七三」とも呼ぶ。 |
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意味 | (特に浄土門で)阿弥陀如来(アミダ・ニョライ)を念じて浄土(ジョウド)に往生(オウジョウ)しようと願う人の臨終に、阿弥陀如来と諸菩薩が現れて極楽浄土に迎え導くこと。
「らいこう(来迎)」とも呼ぶ。ん(紫雲)(2),はっけん(発遣,撥遣)(2) |
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意味 | (相手に対して)けろりと悪口を言ったり、意地悪をするさま。 |
言葉 | (2)アレスター・ケーブル | 詳しく調べる |
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意味 | (空母甲板上などの)制動索・拘束索。
艦上機のアレスターフック(arrester hook)を引っ掛けて、短い距離で減速・停止させる着艦支援装置。 「アレスターワイヤー(arrestor wire)」,「アレスティングワイヤー(arresting wire)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (織物が)けば立った、毛足の長い。 |
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意味 | (肉体的な)けが(怪我)・負傷。 |
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意味 | (自動車などが)人・動物・物などを引っ掛けて、または押し倒して、その上を通る。 |
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意味 | (船体だけの)廃船。
倉庫などに使用される。 |
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意味 | (英語で)(地面などの)深い割れ目・裂け目。 |
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意味 | (英語で)男性に対する丁寧な呼び掛け。目上の男性に呼びかける敬称。あなた・先生・旦那(ダンナ)。 |
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意味 | (英語で)負け惜しみ。 |
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意味 | (表具で)1枚の厚い紙を、ヘラなどで表と裏の2枚に薄く剥ぎ別けること。 |
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意味 | (装置などの)取り付け・据え付け・設置・架設。 |
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意味 | (西洋などで)字の書けない人が書く署名。 |
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意味 | (親船の)はしけ(艀)・補給船。 |
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意味 | (財産権利などの)譲り受け人・受託者。 |
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意味 | (転じて)ある人や物事を忌み嫌って寄せつけないこと。
「七里けっぱい」,「七里けんばい」とも呼ぶ。 |
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意味 | (転じて)いやなことや嫌いなこと・災難などを避けるまじないの言葉。 |
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意味 | (転じて)けちな商売人。 |
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意味 | (転じて)ちょっと外出しただけでも、つまらない出費があるということ。 |
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意味 | (転じて)トンボを捕えること。その遊び。
トンボの眼に人差し指を向け、くるくる回しながら近づして羽を指に挟む。 |
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意味 | (転じて)中身の悪さを隠して、外面だけを飾り、とりつくろうこと・中身をいつわること。 |
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意味 | (転じて)人の死や制度崩壊などの後も、人々に影響を与え続けること。 |
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意味 | (転じて)他に先駆けて、または先頭に立って物事をする人や組織。 |
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意味 | (転じて)別れた夫婦、特に妻から求めて家を出た夫婦は復縁することができないということ。が付く,焼け木杭に火が付く,焼木杭に火が付く)かえだにかえらず(落花枝に返らず)(3),そうこうのつま(糟糠の妻) |
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意味 | (転じて)困り苦しんでいる境遇から助け出すこと。 |
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意味 | (転じて)奇術などで、魔法を掛ける呪文。 |
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意味 | (転じて)工作機械に加工物を取り付ける用具一般。 |
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意味 | (転じて)思うように書けないこと。悪筆(アクヒツ)。 |
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意味 | (転じて)最初に学ばなければならない事項。 |
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意味 | (転じて)自分の手以外に何も頼るもののないこと。また、他人の援助を受けないこと。 |
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意味 | (転じて)若い女性に親切を装って家まで送り届けると言って近づき、途中で乱暴しようとたくらんでいる男。 |
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意味 | (転じて)陥(オチイ)ると抜け出すことの困難な悪状況。 |
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意味 | (転じて、知られていない・知ってはいけない・知られてはならない)暗黒面・物事のくらい面。 |
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意味 | (透けない厚地の)カーテン地・布地。 |
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意味 | (遊里で)一人の遊女が、一夜のうちに、かけもちまたは順次に替えて多くの客の相方となること。また、その客。 |
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意味 | (金持ちの子供が)乳母(ウバ)に養育され、外出すれば日傘をさしかけられるように、大切に守り育てられること。
特に、過保護に育てられることに用いる。 「おんばひからかさ(乳母日傘)」とも呼ぶ。 |
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意味 | (関西方言)(転じて)いまいましい。いやな感じた。
強めて「けたくそ」とも言う。 |
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意味 | (陸上)自衛隊における砲兵の兵種の呼称。 |
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意味 | (頭の回転・感受性が)間が抜けている、阿呆(アホ)くさい。 |
言葉 | (1)ペルソナ・ノン・グラータ | 詳しく調べる |
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意味 | (駐在国の政府にとって)好ましからざる人物・好ましくない外交官。
受け入れ拒否や国外退去要請の際に通告する。 略称は「PNG」。 |
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意味 | 10人以下の単位(ユニット)を組み、福祉施設などでケアを行なう方式のこと6~9人を1ユニット(生活単位)とする家庭的な環境のなかで一人ひとりの個性や生活リズムに応じて暮らしていけるようにサポートする介護手法のこと。個室(寝室)があり、日中は共有のリビングで過ごす。いつも同じ顔ぶれで環境の変化が少ないことから、認知症グループホームの多くが採用している。特別養護老人ホームや老人保健施設、療養病床などで、10人以下のグループに分けてケアを行なう方式。特別養護老人ホームなどの高齢者施設の居室をいくつかのグループ(10人前後)に分けて、それぞれをひとつの生活単位とし、少人数の家庭的な雰囲気の中でケアを行うもの。 |
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意味 | 11世紀のイングランド南中部の都市コベントリー(Coventry)の仕立屋。
領主が重税を課した時、ゴダイバ夫人(Lady Godiva)がやめるように説得すると、領主は冗談半分に夫人が裸で白馬に乗って町中を通ったらやめると言った。 夫人は町民に戸や窓を閉めるように頼んで夫の要求を実行すると、トムだけが夫人の姿をこっそりのぞき見して目がつぶれたという。 |
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意味 | 1221(承久 3. 5.)鎌倉幕府と京都朝廷とに展開された抗争。
1199(建久10. 1.13)初代将軍源頼朝(ヨリトモ)が没し、北条氏の台頭や有力御家人の反乱など幕府内部は混乱する。これに乗じて後鳥羽(ゴトバ)上皇ら京都朝廷は公家勢力の回復と討幕を図り挙兵するが、執権北条義時を中心とする幕府軍に大敗しする。 後鳥羽上皇は隠岐(オキ)に、順徳(ジュントク)上皇は佐渡に、後鳥羽上皇の挙兵を諌(イサ)めた土御門(ツチミカド)上皇は自ら願って土佐へ配流される。順徳上皇から譲位を受けたばかりの4歳の仲恭(チュウキョウ)天皇は在位70余日で堀河天皇に譲位させられる。 以後、公家勢力は衰微し、武家勢力の強化を招く。また、京都六波羅(ロクハラ)に六波羅探題が設置される。 |
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意味 | 1258年イランに建国されたモンゴルの王国。
ジンギス汗の孫で、フビライの弟フラグ(Hulagu)(旭烈兀)がアッバス朝のカリフ政権を倒し、カスピ海南西のタブリースに都して建てた。モンゴル帝国の4汗国のうち、最も元朝に友好的であった。 シリアの領有をめぐってエジプトのイスラム帝国マムルーク朝と争ったので、初めイスラム教に反対しネストリウス派のキリスト教を支持して、ローマ教皇やキリスト教国に接近した。 しかし、13世紀末に即位した第7代ガザーン・ハンはイスラム教を国教と定め、文化の興隆につとめた。宰相ラシード・ウッディンのモンゴル族の歴史『集史』も編纂された。 14世紀になるとハン位争奪の内乱も起って衰退し、1393年ティムールの攻撃を受けたのち分裂して1411年滅亡した。 「イル・カン国(イル汗国,伊児汗国)」とも呼ぶ。 |
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意味 | 12世紀から16世紀にかけてフランス北部で発展し、ヨーロッパに広がった建築様式 |
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意味 | 12世紀以後、史上に現れた西モンゴルの部族。
はじめチンギス汗に降ったが、元朝が衰えると外モンゴル西部や天山北路を領有し、東モンゴルのタタール(韃靼<ダッタン>)と争った。 15世紀初頭、トゴン(Toghon Tayisi)が出て漠北(バクホク)を統一。タタールとともに明の永楽帝(成祖)の北征を受ける(1407~1424)。15世紀の中頃、トゴンの子エセン・ハン(Esen Khan)(也先汗)のとき全盛を極め、明に侵入し1449年正統帝(英宗)を捕え(土木の変)、翌年明と講和し正統帝を送還。エセン・ハンは大可汗(ダイカカン)と号したが、内訌のため1454年部下に殺されて衰退、タタールの勢いが盛んになった。 清代のジュンガルはその後裔(コウエイ)で、乾隆帝(高宗)に征服される。 「瓦刺(ウエラ)」,「瓦刺(ワアラア)」,「衛拉特」,「斡亦喇(立心偏+「易」)(オイラート)」,「額魯」とも呼ぶ。木の変),だったん(韃靼) |
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意味 | 13世紀から17世紀にかけてハンザ同盟のメンバーとして繁栄した |
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意味 | 13世紀初頭から16世紀前半にかけて、北インドのデリーを中心として続いた五つのイスラム王朝の総称。
<1>トルコ系の奴隷王朝(Slave Dynasty)(1206~1290)。 <2>ハルジー朝(Khalji Dynasty)(1290~1320)。 <3>トゥグルク朝(Tughluq Dynasty)(1320~1413)。ちょう(サイイド朝) <5>アフガン系のロディー朝(Lodi Dynasty)(1451~1526)。 |
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意味 | 1457年蝦夷地のアイヌ人の蜂起(ホウキ)。
北海道東部に勢力をふるっていたアイヌの首長コシャマインが、渡島半島の南部を征服していた安東氏と対立し、1456(康正 2)反乱を起こし、多くの和人の館を攻め落とす。 翌年、蛎崎(カキザキ)氏の客将武田信広が平定。信広は功により蛎崎氏の家督を受け継ぐ。 「コシャマインの乱(胡奢魔尹の乱)」とも呼ぶ。牟奢允の戦い) |
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意味 | 1524~1525(大永 4~大永 5)ルターの宗教改革運動を背景に、ドイツ中部・南部に起きた農民反乱。
貨幣経済の発達にともない生産者である農民の地位が向上。一方、封建領主は経済的な危機として農民に貢租増大を図った。 南西ドイツのシュバーベン(Schwaben)地方の農民は富農層の指導を受け、貢租軽減・農奴制廃止など12ヶ条の要求を掲げて蜂起(ホウキ)。反乱はライン沿岸地方にも拡大し、チューリンゲン(Thueringen)のミュールハウゼン(Muehlhausen)地方では宗教改革者ミュンツァー(Thomas Muenzer)の率いる貧農一揆に発展した。 しかし、ルターの支持を得た領主連合に鎮圧された。 単に「農民戦争(Bauernkrieg)」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1545~1546(天文14~15)武蔵国河越で行われた後北条氏と上杉氏の合戦。
1537(天文 6)扇谷(オウギガヤツ)上杉朝定(トモサダ)は北条氏綱・氏康(ウジヤス)父子に本拠河越城を攻め落とされ、松山城に退く。1541(天文10)氏綱が没し、扇谷上杉朝政が攻めるが敗退。 勢力の回復をはかる朝定は山内上杉憲政(ノリマサ)(関東管領)・足利晴氏(ハルウジ)(古河公方)の援けを得て、1545(天文14.10.)福島(北条)綱成が守る3千の河越城を総勢8万余騎の大軍で包囲する。 翌年春、氏康が今川氏親と争っているのに乗じて朝定らは兵糧の尽きた落城寸前の川越城を攻める。氏康は8千騎を率いて援軍に駆けつけ、 4.20夜陰に乗じて襲撃し、城兵も降参を装って夜襲(河越の夜討)。 上杉・足利の連合軍は敗走し、混乱の中で朝定は戦死して、扇谷上杉は滅んだ。 |
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意味 | 1582(天正10. 6.13)京都西南の山崎における羽柴(豊臣)秀吉と明智光秀(アケチ・ミツヒデ)の合戦。
秀吉は本能寺の変( 6. 2)を知って急ぎ毛利輝元と和睦して備中高松城から兵を返した。光秀は山城国乙訓大山崎村(現:乙訓郡大山崎町)で迎え討って秀吉に敗れ、近江の坂本城へ敗走する途中、山科の小栗栖(オグルス)(現:京都市伏見区)で土民に殺された。 |
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意味 | 15から18世紀にかけてスペインが交易と戦闘用に用いた |
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意味 | 15世紀から16世紀にかけてポルトガルの探検家と植民地開拓者が(ブラジルを含む)広大な海外植民地を築いた |
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意味 | 15世紀末から19世紀にかけて、ヨーロッパ各地で通用した銀貨。もとプロイセンの銀貨。 |
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意味 | 15~16世紀のヨーロッパで、男性用ズボンの前あき部分を隠すためにつけた、装飾的な袋または布。 |
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意味 | 1613年から1917年にかけて統治したロシア皇帝の家系 |
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意味 | 1690年のアイルランドの大同盟戦争における戦い |
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意味 | 16~17世紀以降のヨーロッパで、竜の飾りをつけたカブト(兜)を被(カブ)り、銃を持った騎馬兵。 |
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意味 | 1782(天明 2)から1787(天明 7)にかけて起きた大飢饉。
1783(天明 3)には浅間山が大噴火し、その影響で起きた奥羽・関東の冷害は特に深刻で、多数の餓死者を出した。 |
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意味 | 17世紀に西欧諸国が東洋貿易のためにインドに設立した特許会社。
1600年、イギリス東インド会社設立(~1858)。インド領を英国王に献上して会社を解散。 1602年、オランダ東インド会社(VOC)設立。ナポレオン戦争により、1799年解散。 1604年、フランス東インド会社設立。1664年、東インド会社を再建。18世紀中頃、インドにおけるイギリスとの交戦に敗れたので会社を解散。 1614(慶長19)オランダ東インド会社、アメリカのマンハッタン島をインディアンから24ドルで買い上げる。 |
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意味 | 1828(文政11)。
1858(安政 5)日蘭通商条約(不平等条約)が締結され、国外追放を受けていたシーボルトの追放処分は取り消しとなる。 |
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意味 | 1836年のサンアントニオの布教施設における包囲と虐殺 |
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意味 | 1848. 3.(嘉永元)フランスの二月革命の影響を受けて、ベルリン・ウィーンなどで起きた武装蜂起。 |
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意味 | 1858(安政 5)江戸幕府とオランダで締結された不平等条約。
この結果、国外追放を受けていたシーボルトの追放処分が取り消しとなり、翌年シーボルトは再来日する。 同年に締結されたほぼ同じ内容の条約と合せて「安政仮条約」,「五ヶ国条約」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1861年から1886年までの米国との負け戦を戦い、オクラホマに再定住した |
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意味 | 1864(元治元. 7.)長州藩が京都に出兵し、京都守護職の松平容保(カタモリ)が率いる会津・薩摩・桑名藩などの佐幕勢力と蛤御門付近で戦って敗れた事件。
前年の1863(文久 3. 8.18)「八月十八日の政変」で京都を追われた長州藩は、藩主毛利敬親(タカチカラ)・広定父子の名誉回復・七卿の帰洛・藩士の入京を嘆願していた。しかし、1864(元治元. 6. 5)会津・桑名藩兵・新撰組に京都池田屋で尊攘派が襲われる(池田屋事件)。この報らせで長州藩は急進派が藩論を制し、形勢挽回を図って3家老が藩兵1,600名を率いて上京。 久坂玄瑞(クサカ・ゲンズイ)は山崎に、福原元們(フクハラ・モトタケ)は伏見に陣取り、朝廷に書面を以て願い出た。さらに長州から五卿が出発、来島又兵衛(キシマ・マタベエ)は蛤御門に向かい、ここに至り一橋慶喜(ヨシノブ)(のち将軍)に朝命が下り討たれる。久坂・来島は戦死、福原は負傷して帰国、五卿も途中から引き返した。 7.23幕府は朝廷に長州征伐を請(コ)い奉(タテマツ)り、認可されて、第一次長州征伐となる。 七卿とは三条実美(サネトミ)・三条西季知(サンジョウニシ・スエトモ)・東久世通禧(ヒカシクセ・ミチトミ)・壬生基修(ミブ・モトナガ)・四条孝謌(シジョウ・タカウタ)・錦小路頼徳(ニシキコウジ・ヨリノリ)(のち病死)・沢宣嘉(ノブヨシ)(のち他藩に走る)。 大政奉還とともに1867(慶応 3.10.)五卿・毛利父子は官位を復され、入京も許される。 「禁門の変」,「元治甲子の変」とも呼ぶ。変),いけだやじけん(池田屋事件) |
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意味 | 1868(慶応 4.閏4.)古代官制にならって政体書(セイタイショ)により設置された七官(シチカン)の一つ。神社・祭祀(サイシ)行政をつかさどった中央官庁。
幕藩体制の支配機構の一環をなしていた仏教を排斥する方針をとった。神仏判然を令し、天皇を崇拝する神道国教化を画し、はげしい排仏毀釈(ハイブツキシャク)に発展した。1871(明治 4)寺請け制にかわる氏子調べを発布したが、実効がとぼしく2年余で廃止された。 新政府の基礎が確立されるにしたがい、祭政一致のイデオロギーが後退し、1871(明治 4)神祇省に格下げされ、1872(明治 5)神祇省が廃止、教部省が設置され事務の一部は式部寮にも移管。 さらに1877(明治10)内務省に合併された。 |
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意味 | 1871. 9.13(明治 4. 7.29)日本と清国で調印された最初の条約。
日本の開国以来、日清間の交流が盛んになったため、日本側から発議。日本政府は欧米列強にならって清国と不平等条約を結ぶ方針で、1871. 6.(明治 4. 4.)大蔵卿伊達宗城(ムネナリ)を欽差全権大臣・外務大丞柳原前光および権大丞津田真道を副使に任命し、使節一行は 7.24(陰暦 6. 7)天津(Tianjin)に到着。 日本側は不平等の条約案を提議したが、清国欽差全権大臣李鴻章(Li Hongzhang)(リ・コウショウ)は自国の提議した対等の条約案を基本にすることを強硬に主張した。伊達全権は日本案を撤回し商議して、天津の山西会館で調印した。 この修好条規は、日本にとって最初の完全な対等条約となった。内容は両国の修好と相互援助、両国民の貿易許可、領事裁判権の相互承認など全文18条から成る。 しかし、政府の指令に背き締結したこと、両国の開港場での刀剣の携帯を禁止していたことは1876(明治 9)廃刀令以前であり不満が多く、一方米仏などアジアの植民地化を推し進める列強にとっては日清の攻守同盟と受け取られ相互援助の条項の削除を希望されるなどで批准されなかった。 そこで間もなく柳原前光を少弁務使として清国に派遣し条約の改訂を交渉したが、李鴻章は日本の不信を痛感しこれに応ぜず、公式に発効しないまま日時が経過し日清戦争に至った。 |
言葉 | |
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意味 | 1874(明治 7)西郷従道(ツグミチ)が台湾蛮地事務都督として征台。
台湾に漂着した琉球漁民が高山族(高砂族)に殺害された事を口実に、出兵し台湾に上陸。イギリス公使の斡旋(アッセン)で清国から遺族への撫恤金(ブジュツキン)など償金50万両(テール)を得て和約。 軍事輸送は政府が買い入れた13隻の汽船の依託を受けた岩崎弥太郎(ヤタロウ)の三菱商会が行った。 「征台の役」,「台湾出兵」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
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意味 | 1875. 9.20(明治 8)「高宗12」日本の軍艦が強行侵入し砲撃を受けた事件。
事件の賠償を理由に日本政府は1876. 2.27(明治 9)日朝修好条規(江華条約)を結ばせる。 |
言葉 | |
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意味 | 1882(明治15)福島県で行われた自由民権運動に対する弾圧事件。
明治政府の意を受けた福島県令三島通庸(ミチツネ)は、県会を無視して強制労働を含む大土木工事などの施策を推進。自由党の県会議長河野広中を中心に自由党員・農民が県政反対運動を展開して衝突。政府および三島は政府転覆を企てたとの理由で、河野以下2,000人を逮捕し、徹底的に弾圧し福島自由党は壊滅。 河野広中・花香(ハナカ)恭次郎ら6名は内乱を計画したものとして処罰された。 |
言葉 | (1)ジキル博士とハイド氏 | 詳しく調べる |
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意味 | 1886(明治19)刊行された、スチーブンソン(R.L.Steven-son)の怪奇小説。
温厚なジキル博士が、発明した薬によって悪の人格を持つハイド氏に変身し解毒剤で博士に戻り、自由に善悪二重の人格を使い分けるが、悪の力には勝てずに元に戻れなくなり悲惨な最期を遂げる話。 のち「ジキルとハイド(Jekyll and Hyde)」は二重人格者の代名詞となった。 |
言葉 | |
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意味 | 1891(明治24)滋賀県大津市で起こったロシア皇太子の傷害事件。
来日中のニコライ皇太子(Prince Nikolai)(のちニコライ二世)が、5月11日大津市で沿道り警備に当たっていた巡査津田三蔵(ツダ・サンゾウ)(1855~1891)にサーベルで斬り付けられて負傷。 日本政府はロシアとの関係悪化を恐れて大逆罪として死刑を司法当局に要求したが、大審院長児島惟謙(コジマ・イケン)は謀殺罪の未遂事件として扱い無期徒刑に処して司法権の独立を示した。 「湖南(コナン)事件」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
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意味 | 1895(明治28)平安神宮内に設けられた大日本武徳会(ダイニホンブトクカイ)の大演武場。現在は廃止。 |
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意味 | 18世紀後半に東ヨーロッパから始まった敬けんな運動から生じた正統派ユダヤ教徒の教派 |
言葉 | |
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意味 | 1909(明治42)に発覚した政党代議士がからむ汚職事件。
事業不振に悩む大日本製糖株式会社(日糖)は、代議士を買収して輸入原料砂糖戻税法の期限延長に成功。しかし、財政窮乏から1909年度に砂糖税の増税が決定される。不振を続ける日糖は、政友会の砂糖官営説を利用してさらに代議士を買収、官営移管を謀るが失敗し汚職が発覚する。 1909(明治42)4月に捜査開始、7月に政友会12名・憲政本党7名・大同倶楽部2名・日糖重役7名が有罪判決を受ける。 日糖社長酒匂は自殺し、元三井銀行社員の藤山雷太(ライタ)が社長に就任。式会社) |
言葉 | |
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意味 | 1914. 1.23(大正 3)の外電により発覚した海軍・三井物産などの贈収賄事件。
日本海軍に軍需品を納入していたドイツのシーメンス・シュッケルト電気会社(Siemens Schuckert Werke AG)が、解雇した元東京支店の社員カール・リヒテル(Karl Richter)に重要書類を盗まれて脅迫されていた。帰国した社員が逮捕、ベルリン地方裁判所で恐喝罪懲役2年の判決を受け、その結果同社の日本海軍高官に対する贈賄が明らかにされ、日本にロイター通信の電報で報じられる。 続いてイギリスのビッカース社(Vickers-Armstrong Ltd.)と代理店三井物産が軍艦金剛(コンゴウ)の建造に絡んでの贈賄も発覚する。 海軍力の大拡張を計った海軍出身の第1次山本権兵衛(薩摩藩閥)内閣に不満の立憲同志会領袖(リョウシュウ)島田三郎ら野党は予算委員会でこの問題を追及する。 1.28海軍に査問委員会が設けられ、同年1月藤井光五郎海軍少将・沢崎寛猛(ヒロタケ)海軍大尉、2月呉鎮守府指令長官松本和(カノウ)中将や三井物産重役岩原謙三らが諮問・家宅捜査を受け、検挙される。 2.10同志・国民(犬養毅)・中正(尾崎行雄)の3党派は内閣弾劾決議案を提出する。同日、日比谷の内閣打倒国民大会が開かれ、数万人が国会議事堂を取り囲んだ。政友会の松田源治が民衆を暴民と演説したことが伝えられ、激昂した民衆が議会の正門を破壊。弾劾案が与党政友会により否決され、民衆はさらに政府系の中央新聞社や毎夕新聞社にデモをかける。議事堂に閉じ込められた閣僚や与党議員は陸軍に出動を依頼するが動かず(陸軍の予算は翌年に回されていた)、警官に抜剣させて脱出、このとき東京日日新聞社の記者橋本繁が負傷する。遅れること数時間、麻布の第三連隊から1個大隊が出動。 3.15貴族院で山県派議員により予算案が否決され、山本内閣は 3.24引責総辞職する。 5.29松本中将らの海軍将官・佐官は軍法会議で懲役の宣告を受ける。 「シーメンス・ビッカース事件」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1915年から1926年にかけて流行した脳炎 |
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意味 | 1918(大正 7)夏から秋にかけて世界的に流行した悪性のインフルエンザ。H1N1型。
伝染力が強く、急性肺炎を併発し、死亡率が非常に高かった。死者2,500万と言われ、第一次世界大戦の死者よりも多かった。 |
言葉 | |
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意味 | 1919. 3. 1(大正 8)から約3ヶ月続いた、朝鮮民族の日本支配に反抗する独立運動。
1919. 1.(大正 8)李太王が日本人医師に毒殺されたという風説がひろまり、葬儀の前日3月1日京城(ソウル)市パコダ公園に集まった数千人の群衆・学生が、「独立宣言」を読み上げ、朝鮮独立万歳を叫んだ。「独立宣言」は崔南善(Choe Nam-seon)が起草し孫秉煕(Son Byong-hi)(ソ・ビョンヒ)(ソン・ヘイキ)ら33人の宗教家が、朝鮮の独立を世界の世論に訴えたもので、パリ講和会議に請願したが取り上げられなかった。33人は民衆の前には姿を見せず、総督府警務局に自首する。 運動は次第に全国に波及し、参加者は200万人に達し、5月ころまでに日本官憲に鎮圧された。 この間4月、上海に大韓民国臨時政府が樹立され、李承晩(I Sungman)(イ・スンマン)(リ・ショウバン)が国務総理となる(間もなく派閥抗争で失脚)。 朝鮮総督の 4.24の報告では、死者は憲兵3人・警官2人、憲兵と警官の負傷者49人、一般内地人の死者1人・負傷者18人という比較的おだやかな運動であった。しかし、シベリアや満州の朝鮮人はロシア革命の影響を受け、武装闘争に向っていた。 日本の朝鮮支配は武断的政策から文治政策に転換され、第2代朝鮮総督の長谷川好道(ヨシミチ)は辞任し、8月元海軍大臣斎藤実(マコト)が任命され、「文化政治」をとなえ総督に文官が就任できるように改革したが文官が就任することはなかった。 「万歳事件」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1920(大正 9)アメリカの女性教育者パーカースト(Helen Parkhurst)(1887~1959)がマサチューセッツ州ドルトン市のハイスクールで試みた新しい教育方法。
基本教科ごとに実験室を設け、生徒は自分の興味と能力に応じて自分で学習目標を定めて個別学習を進めてゆくもの。教師は個人指導を重んじ、助言・相談の役をつとめ、生徒の能力によって進級させる。 「ダルトン・プラン」,「ドルトン・ラボラトリ・プラン(Dal-ton laboratory plan)」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
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意味 | 1923. 9.16(大正12)関東大震災の厳戒令下、東京憲兵隊分隊長大尉甘粕正彦(マサヒコ)らが無政府主義者大杉栄とその妻伊藤野枝、および甥の橘宗一を外出先で連行し、殺害した事件。つじけん(朝鮮人虐殺事件),おおしまじけん(大島事件) |
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意味 | 1925. 4.22(大正14)公布された思想・結社の弾圧法規。
国体の変革・私有財産制度の否認を目的とする結社活動および個人的行為に対する処罰を内容とする法律。〈制定〉 第一次世界大戦後の社会主義運動・農民運動・労働運動の発展に対処し、反体制運動(主として共産主義運動)の弾圧を目的に制定。 第1次加藤高明内閣(護憲三派内閣)が立案し、1925. 3.(大正14)普通選挙法と同時に制定・公布。「国体ヲ変革シ、私有財産制度ヲ否認セントスル」結社・運動を厳禁し、違反者には懲役10年以下の刑を科した。〈改訂など〉 田中義一内閣は改正案の議会承認を経ずに緊急勅令のかたちで1928. 6.29(昭和 3)改正を公布、即日施行。同年の三・一五事件で日本共産党に対する大量検挙に従い、刑をきびしくするように改訂され、死刑が付加された。 1936. 5.29(昭和11)思想犯保護観察法、公布。 1941. 3.10(昭和16)予防拘禁が追加された改正治安維持法が公布。反政府・反軍部に拡大解釈されて適用された。ぼうこうきん(予防拘禁),とくべつこうとうけいさつ(特別高等警察)〈廃止〉 GHQの司令により、1945.10.15(昭和20)勅令575号が公布施行されて廃止。 |
言葉 | |
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意味 | 1927. 4.12(昭和 2)蒋介石(Jiang Jieshi)が上海で起こした反共・反革命クーデター。
第一次国共合作による中国共産党の主導下で蒋が率いる北伐軍が解放された上海に入ると、帝国主義列強の圧力と浙江財閥(セッコウ・ザイバツ)の要求でクーデターを断行。 4.18、南京国民政府が成立し、蒋は主席となる。武漢国民政府と対立したが、武漢国民政府が共産党員ら左派を排除(国共分離)して、 9. 6南京国民政府と合体した。 「よんいちにじけん(四・一二事件)」とも呼ぶ。 |
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意味 | 1927.11.(昭和 2)成立した中国最初のソビエト政権。
第一次国共合作に失敗後、中国共産党が中国南部の農民運動が盛んだった広東省(Guangdong Sheng)(カントンショウ)南東部の海豊県(Haifeng Xian)・陸豊県(Lufeng Xian)に樹立。 土地改革を断行したが、軍閥の攻撃を受け、1928. 2.(昭和 3)陥落して革命軍は四散した。 |
言葉 | |
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意味 | 1930. 1.11(昭和 5)金輸出禁止を解除。
日本経済の立て直しをはかった政府は緊縮財政を唱え金解禁を実施したが、ニューヨークの株式暴落でアメリカが不況になり裏目となる。アメリカへの生糸輸出にたよる日本経済は打撃を受け、政府は打つ手がなく、労働者の賃金切り下げ・首切りが相次いだ。 |
言葉 | |
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意味 | 1932. 9.16(昭和 7)旧日本軍が起こした中国住民虐殺事件。
事件発生の前日の15日、中国遼寧省(Liaoning Sheng)(リョウネイショウ)撫順市(Fushun Shi)(ブジュンシ)郊外の撫順炭坑が抗日ゲリラに襲撃され、日本側に5名の死者が出る。 翌16日、日本軍の撫順守備隊は、抗日ゲリラが前日通過した平頂山集落(平頂山鎮)の住民が抗日ゲリラに協力したと疑い、住民を谷に集めて約3,000人を機関銃で殺害し、遺体に石油をかけて焼却。 生存者は31人。 |
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意味 | 1933(昭和 8)文部省が京都帝国大学法学部教授の滝川幸辰(ユキトキ)を共産主義的であるとして休職を強行、教授会や学生が組織的に抵抗した運動。
1933(昭和 8)4月に滝川の著書『刑法講義』(1926)・『刑法読本』(1932)が発禁となり、斎藤実内閣の文部大臣鳩山一郎は 4.22京都帝大総長小西重直(シゲナオ)に滝川の罷免を要求、法学部教授会の反対を無視して5月に休職処分にする。 教官の任免は教授会に委ねられてきた慣行の否認に対し、法学部教授31名全員が辞表を提出。これを支持して法学部学生や他学部・他大学の教官・学生の大学自治擁護運動に発展する。 結局、小西総長は辞任し、松井元興が総長に就任して教官団は分裂し、学生も弾圧を受ける。滝川は免職、佐々木惣一・宮本英雄・森口繁治・末川博が免官(辞職)、その他教授ら14名が辞職する。 1913(大正 2)の「沢柳事件」に続き大学の自治は崩壊した。 「京大事件」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
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意味 | 1935. 6.(昭和10)華北駐屯軍司令官梅津美治郎(ヨシジロウ)と中国国民軍の軍代表何応欽との間に成立した協定。
天津の日本租界(ソカイ)で親日派の新聞社社長が暗殺されたのを口実に、河北省内の<1>中国軍の撤退・<2>国民党機関の閉鎖・<3>排日活動の禁止の3項目を国民政府に押し付ける。 |
言葉 | |
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意味 | 1936.11.14(昭和11)内モンゴル独立指導者の徳王(De Wang)(トクオウ)が日本の関東軍の援助を受けて綏遠省に侵入し、綏遠省主席の傅作儀(Fu Zuoyi)(フ・サクギ)が率いる中国軍に撃退された事件。
徳王は関東軍参謀総長東条英機の指導を受け、蒙古軍総司令部を組織し、五月に挙兵して百霊廟鎮(Bailingmiao Zhen)に進出。11.14綏遠に攻撃を開始し、11.18壊滅的な打撃を受け、11.23拠点の百霊廟鎮が陥落して敗走。 これが中国全土に伝えられて、中国の抗日運動を高める結果となった。 関東軍の華北(北支)分離工作の一つ。また、ソ連の影響で赤化することを遮断する目的もあった。山内豊紀(ヤマウチ・トヨノリ)を顧問とし、直接の指揮は田中隆吉参謀(中佐)が当たった。 12. 3田中参謀は百霊廟の奪還を企図したが、12. 9逆に日本人機関員19人が虐殺された。 |
言葉 | |
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意味 | 1938. 7.(昭和13)満州・朝鮮・ソビエト国境の交叉点で国境線が不明確な、豆満江([朝]Tuman-gang)(トマンコウ)下流の張鼓峰(Zhanggu Feng)付近で起きた日ソ両軍の武力衝突事件。
前年の盧溝橋事件以来の日中戦争で、近衛文麿内閣はアメリカ・イギリスとの妥協から、その打開として反ソ政策に転換し日ソ関係が緊張していた。 その中で7月11日、張鼓峰の頂上で突然ソ連軍が陣地の構築工事をはじめる。日本政府は重光葵(シゲミツ・マモル)駐ソ大使に撤退を要求させたが、ソ連はこれを拒絶。20日、板垣征四郎(セイシロウ)陸軍大臣が応急動員下令を上奏したが、昭和天皇は裁可を与えなかった。しかし、対ソ戦の準備として朝鮮駐屯の第十九師団と一部関東軍は大本営の制止を無視し、30日に独断で局地戦を挑発しようと威力偵察して沙草峰(Shacao Feng)で衝突。ソ連軍の機械化部隊と圧倒的な火力による大規模な反撃で日本軍は甚大な被害を受けた。 8月4日、モスクワでリトビノフ(M.M.Litvinov)外務人民委員と重光大使が折衝が開始され、事実上ソ連の主張する国境を認めて、10日、日ソ停戦協定が成立した。 |
言葉 | |
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意味 | 1942(昭和17)台湾総督府理蕃課から従軍命令が通達され、各蕃社ごとに人数が割当られて、狩り集められた高砂族ら台湾先住民出身の挺身報国隊。正規の兵役ではなく、志願というかたちの後方勤務とされる。
数千人が出征したが、軍属扱いで記録が残されていないことが多い。半数が戦死したとされ、生還したものも日本国籍を失って恩給や補償も満足に受け取っていない。 約500名がフィリピン攻略戦に動員され、山岳・森林地帯における軍需品の運搬・傷病兵の輸送・森林の伐採・臨時馬扱者の監視などに従事した。 また、1974(昭和49)インドネシアのモロタイ島で「ナカムラ・テルオ」元日本陸軍一等兵が発見されたが、高砂族の一部族アミ族出身の特別志願兵であった。 「高砂義勇隊」,「高砂義勇兵」,「陸軍特別志願兵」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
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意味 | 1947(昭和22)原民喜(タミキ)が描いた被爆体験の作品。進駐軍の検閲を受ける。 |
言葉 | |
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意味 | 1949. 7.15(昭和24)中央線三鷹駅車庫から無人電車が暴走、交番や民家を破壊して6人が死亡した事件。
検査係竹内景助の電車転覆致死罪など10名が起訴され、1955(昭和30)最高裁判所で竹内のみ死刑で他は全無罪の判決を受ける。竹内被告は再審請求中、1967(昭和42)獄中で死亡。 国鉄労組が9万人の人員整理に反対闘争をしている最中(サナカ)で、さらに9日前には下山事件( 7. 6)、 8.15には松川事件が発生している。これらの事件は国鉄労働組合の陰謀として宣伝された。 |
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意味 | 1953(昭和28)から翌年にかけての政府・与党自由党に対する海運・造船業界の贈収賄をめぐる疑獄事件。
1954. 2.23(昭和29)衆議院は自由党副幹事長の有田二郎の汚職容疑による逮捕許諾請求を期限付で許諾。つづいて衆議院・参議院で4議員の逮捕が許諾され、自由党政治家が取り調べを受けたが、第五次吉田茂内閣の犬養健法務大臣は 4.21検事総長に対し指揮権を発動。自由党幹事長佐藤栄作ら党幹部に対する逮捕要求が阻まれ、捜査は打ち切られて事件の真相は解明されずに終った。 4.22犬養は法務大臣を辞職し、吉田内閣から民心が離れていった。 |
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意味 | 1953. 3. 5(昭和28)旧ソ連のスターリン首相重体報道を受けて東京証券市場の株価が、軍需株を中心に一斉に暴落。
5.21~ 6. 3、12営業日続落。 |
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意味 | 1954. 3. 1(昭和29)第五福竜丸の死の灰事件にショックを受けた東京都杉並区の主婦らの集まりから、8月に原水爆禁止署名運動全国協議会が結成。国内ばかりでなく国際的ひろがりとなる。
1955. 8. 6(昭和30)広島で第1回原水爆禁止世界大会を開催。海外から23ヶ国50余人の代表が参加。直後、原水爆禁止日本協議会(原水協)を結成。 1965(昭和40)運動方針をめぐって原水協から社会党・総評系が離脱して原水爆禁止日本国民会議(原水禁)を結成。 2004. 8. 4(平成16)広島で第49回原水爆禁止世界大会を開催。原水禁の世界大会には約3,500人が、原水協の世界大会には約7,800人が参加。ニ・デー) |
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意味 | 1958(昭和33)製作の西ドイツ映画。
監督:ゲツァ・フォン・ラドヴァニ(Geza Von Radvanyi)。 出演:ロミー・シュナイダー(Romy Schneider)(マヌエラ役)、リリー・パルマー(Lilli Palmer)(フォン・ベルンブルク先生役)。 この映画では、誤解が解けてマヌエラは自殺を思いとどまる。 |
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意味 | 1959. 3.30(昭和34)第一審東京地方裁判所の伊達秋雄裁判長)が、砂川事件に対して日米安全保障条約は憲法第九条に違反するとして無罪判決を下した判決。うじょうやく(日米安全保障条約),けんぽうきゅうじょう(憲法九条,憲法9条) |
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意味 | 1960. 5.24(昭和35)日本の太平洋岸に襲来(シュウライ)した、前日のチリ地震による津波。最高6メートル。
北海道南岸や三陸地方で大被害を受け、死者142人、被害家屋4万6,214戸。 「チリ津波」とも呼ぶ。 |
言葉 | |
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意味 | 1964. 6.16(昭和39)新潟県北部沖の粟島付近、北緯38.4°・東経139.2°を震源とする<マグニチュード7.5の大地震。
死者26人、家屋の全焼・全壊2,250戸、家屋の被害2万戸以上。国道・国鉄が寸断、完成間もない昭和大橋が落下。市内の海岸にあった昭和石油の原油タンクが爆発し15日間燃え続ける。 津波も発生し、大島崎で5メートル、両津で3メートル。 |
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意味 | 1980(昭和55)韓国の全羅南道(ゼンラナンドウ)の道都光州市(Kwangju-si)で民主化を求める市民や学生のデモ隊と戒厳軍が衝突し、多数の死傷者を出した事件。
1979.11.26(昭和54)軍事独裁政権の朴正煕(Pak Chonghui)(パク・チョンヒ)大統領が側近の金載圭(Kim Jaekyu)KCIA部長に暗殺されると、韓国全土で民主化運動が盛んとなる。 1980. 5.18(昭和55)韓国政府、非常戒厳令を全土に拡大し、反体制派の金大中(Kim Daejung)(キム・デジュン)・金鍾泌(Gim Jongpil)(キム・ジョンピル)らを連行する。金大中の出身地の光州市では反政府デモが激化し機動隊と衝突して大規模な市街戦となる。 5.21武器を奪った学生・市民は全市を占拠。 5.22戒厳司令部は金大中が学生デモを扇動して国家転覆を陰謀したと発表し、学生らの激しい反発にあう。 5.27戒厳軍、光州市に突入し全市を軍事制圧。政府発表で約200人の死傷者を出した。 2005. 5. 4(平成17)劉孝一(Liu Hyoil)(ユ・ヒョイル)国防次官、事件関与の指摘を受けて辞表提出。 |
言葉 | |
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意味 | 1984(昭和59)公開のアメリカのコメディー映画。
いろいろなお化けや巨大なマシュマロマン(Marshmallow Man)などが登場する。 監督:アイバン・ライトマン(Ivan Reitman)。 出演:ビル・マーレイ(Bill Murray):ピーター・ベンクマン博士(Dr.Peter Venkman)。 ダン・エイクロイド(Dan Aykroyd):レイモンド・スタンツ博士(Dr.Raymond Stantz)。 ハロルド・ライミス(Sigourney Weaver):エゴン・スペングラー博士(Dr.Egon Spengler)。 |
言葉 | (1)サーキット・ブレイカー | 詳しく調べる |
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意味 | 1987年10月におきた米国株式の大暴落の原因はさまざまな要因が絡んでいるので特定できないが、現物と先物とを組み合わせたプログラム売買が下げをスパイラル的に加速させたことは事実である。それを受けて1988年~1990年にシカゴ・マーカンタイル取引所とニューヨーク証券取引所がそれぞれ独自に「注文制限」、「値幅制限」、「取引停止」などの価格乱高下防止措置を導入した。これをサーキット・ブレイカーという。 |
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意味 | 1991年のソ連からの独立を宣言したが、ロシア軍は侵攻し、主にイスラム教の共和国で執拗な軍事行動を推し進め続けている |
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意味 | 1994年に東オーストラリアのバートルフリア山で見つけられた一つの標本 |
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意味 | 1997年に、名付けられた自由州 |
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意味 | 19世紀から20世紀初頭にかけて行なわれたイギリスとアフガニスタンの戦争。
1838~1842(天保 9~天保13)第1次アフガン戦争。イギリス軍は地元勢力に惨敗。 1885(明治18)ロシアがアフガニスタンに進出し、ロシアがインドまで南下することを恐れたイギリスがアフガニスタンに干渉し、保護国とする。1887(明治20)イギリス・ロシアはアフガニスタンの境界を定める。 1919. 5.(大正 8)第3次アフガン戦争でラワルピンディー条約(the Treaty of Rawalpindi)が締結され、アフガニスタンがイギリスより独立する。つしまじけん(対馬事件),きょぶんとう(巨文島) |
言葉 | |
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意味 | 19世紀初頭、ウィーン体制下の学生団体。
1815(文化12)イエナ大学で学生の単なる友好団体が結成。やがて波及して全国の大学に結成される。 1817.10.17(文化14)バルトブルクの祝典(Wartburgfest)で全ドイツ・ブルシェンシャフトが結成。ドイツの統一と学園の自由を求める運動を展開。 1819(文政 2)メッテルニヒ(K.W.von Metternich)の反動的なカールスバートの決議(Karlsbader Beschluesse)で弾圧を受けて衰退。 |
言葉 | |
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意味 | 19世紀前半のイタリアの秘密結社。
反ナポレオン運動としてナポリの自由主義者が炭焼きを装って団結。 不満を持つ小地主や商工業者などの加盟で勢力が拡大し、反オーストリア・イタリアの統合を掲げた。統一組織を持たなかったため具体的方策に欠け、1820年ナポリ・1821年ピエモンテ・1831年中部イタリアなど各地で革命を起こしたが、それぞれオーストリアの干渉で失敗。 のち、しだいに衰微し、青年イタリア党やサルジニアの統一運動に引き継がれていった。 「カルボナリ党」,「炭焼党」とも呼ぶ。とう(青年イタリア党) |
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意味 | 1つのタイプだけから構成されるさま |
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意味 | 1つの指ぬきに入れられるだけの量 |
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意味 | 1つの核心だけを持っているさま |
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意味 | 1つの統合された目的に特徴づけられた |
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意味 | 1より多くけれども数で無制限に小さい |
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意味 | 1周期の時間におけるある特殊な点 |
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意味 | 1回だけ書き込み可能な、したがって読み取りのみ可能なコンパクトディスク |
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意味 | 1枚の基部の葉より上の直立する赤みがかった茎の先端に、紫の斑点がある単生の白からピンクの花をつける北半球の温帯の珍しい湿原生のラン |
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意味 | 1片の薄い木切れあるいは燃焼性の化学薬品が先端に付けられたボール紙から成るライター |
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意味 | 1種類の商品だけを売る店 |
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意味 | 2004(平成16)ウクライナで発生した民主化運動・政変。
クチマ(Leonid Danylovych Kuchma)大統領は任期満了による引退にあたり、ヤヌコビッチ(Viktor Fedorovych Yanukovych)首相を後継者として指名。 2004.10.31(平成16)大統領選挙が実施され、親欧米派の野党候補のユーシェンコ(Viktor Andriyovich Yushchenko)元首相が僅差で首位となる。 2004.11.22(平成16)大統領選挙の決選投票を実施。 決選投票の不正疑惑から、首都キエフを拠点にオレンジ色の旗を掲げた若者ら数10万人が集まる抗議行動に発展し、政府に圧力をかけた。 最高裁判所が決選投票のやり直しを決定。 再投票の結果、与党候補ヤヌコビッチが惨敗し、ユーシェンコは圧勝し、政権は交代した。 |
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意味 | 20世紀っぽさが抜けない、古臭い中年男性のこと。 |
言葉 | (1)ゼロアワー・システム | 詳しく調べる |
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意味 | 24時間中、休みなく放送を続けること。
「ゼロアワー」とも呼ぶ。 |
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意味 | 2つの大脳半球を結びつける広い横行神経路 |
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意味 | 2つの枝に分けること |
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意味 | 2つの比例数xとyにおける比率の一定した値 |
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意味 | 2つの組織あるいは窩洞を分ける仕切り |
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意味 | 2つ以上の単語から、いくつかの音を省いたり、結びつけたりして作られた単語 |
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