"変"で終わる言葉

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言葉頭が変
読みあたまがへん
品詞形容詞
カテゴリ
意味

(1)非制御興奮または感情によって特徴づけられる

(2)狂気または精神異常により影響を受ける

(3)affected with madness or insanity; "a man who had gone mad"

(4)marked by uncontrolled excitement or emotion; "a crowd of delirious baseball fans"; "something frantic in their gaiety"; "a mad whirl of pleasure"

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言葉上海事変
読みしゃんはいじへん
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)1937. 8.13(昭和12)。

(2)1932. 1.28(昭和 7)。5月まで続く。 抗日運動の弾圧を目的に軍隊を上陸させたが、強力な抵抗に屈して失敗。

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言葉乙巳の変
読みいっしのへん
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1) 645(大化元年)夏、中大兄皇子(ナカノオオエノオウジ)・中臣鎌子(ナカトミノカマコ)(藤原鎌足)らが蘇我蝦夷(ソガノエミシ)・入鹿(イルカ)父子を滅ぼし、中大兄皇子が孝徳天皇を即位させた政変。
「乙巳の変(いつしのへん,おっしのへん,おつしのへん)」とも呼ぶ。

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言葉乙未政変
読みいつびせいへん
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)1895(明治28)「高宗32」朝鮮王高宗の妃(閔妃<ビンビ>)が暗殺された事件。
9月に着任したばかりの三浦梧楼(ゴロウ)公使が、10月8日安達謙蔵・国友重章(シゲアキ)ら日本壮士や日本軍守備隊を指揮し、ソウル(京城)の王宮(景福宮)に侵入して閔妃を殺害。国際世論の非難を受けて、日本は三浦ら関係者40数名を逮捕して送還し裁判を行うことになったが、翌年免訴となった。
「乙未の変」,「閔妃暗殺事件」とも呼ぶ。

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言葉北清事変
読みほくしんじへん
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)義和団事件の日本での別称。

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言葉土木の変
読みどぼくのへん
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)中国明朝の正統帝(Zhengtong Di)(英宗)が1449年モンゴル族オイラート部の捕虜となった事件。
明軍が河北の土木堡(Tumubao)で、エセン・ハン(也先汗)のオイラート軍に大敗し、正統帝が捕虜となった。エセン・ハンは正統帝の帰還を代償に有利な和議を結ぼうとしたが、弟の景泰帝(Jingtai Di)(景宗)が即位。南下して北京城を攻めたが于謙(Yu Qian)が死守し、翌年講和が成立し正統帝を送還した。

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言葉壬午の変
読みじんごのへん
品詞名詞
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意味

(1)1882. 7.(明治15)「高宗19」朝鮮の首都漢城(ソウル)で起きた軍人たちの暴動。
親日的な開化派の閔妃(ビンビ)政権の軍制改革に反対して、旧式軍制の軍人が起こしたもので、日本人の軍人教官を殺害。官庁や王宮(昌徳宮)を襲撃し、さらに漢城の日本公使館を焼き打ちする事件に発展。暴動に乗じた大院君(タイインクン)が王宮に迎えられ、閔妃は忠清北道忠州に逃れた。
日本は軍艦3隻と3,000人の兵を仁川に、アメリカも軍艦を派遣。清国は宗主国として属邦の保護を名目に軍艦3隻と4,500人の兵を派遣。清国軍により鎮圧、大院君を捕らえ河北省(He-bei Sheng)(カホクショウ)保定府に拉致(ラチ)幽閉、閔妃政権が復活した。
この結果、同年八月に済物浦(サイモッポ)条約が締結された。清国はそのまま漢城に軍を駐留。袁世凱(エン・セイガイ)を駐紮(チュウサツ)朝鮮総理交渉通商時宜として駐在させ事実上の国王代理として実権を握り朝鮮支配を強化した。
「壬午事変」,「壬午軍乱(ジンゴグンラン)([朝]Imogunran)」とも呼ぶ。(甲申の変),かんろみつやくじけん(韓露密約事件)

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言葉庚戌の変
読みこうじゅつのへん
品詞名詞
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意味

(1)1550年タタールのアルタン・ハンが清朝の北京を包囲した事件。

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言葉庚戌国変
読みこうじゅつこくへん
品詞名詞
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意味

(1)1910(明治43)の日韓併合にたいする韓国での名称。

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言葉戊戌政変
読みぼじゅつせいへん
品詞名詞
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意味

(1)中国の清朝末期、1898(明治31)(戊戌の年)に保守派の西太后らが、康有為(コウ・ユウイ)らの改革運動を弾圧した事件(クーデター)。
「戊戌の政変」とも呼ぶ。

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言葉承久の変
読みじょうきゅうのへん
品詞名詞
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意味

(1)1221(承久 3. 5.)鎌倉幕府と京都朝廷とに展開された抗争。
1199(建久10. 1.13)初代将軍源頼朝(ヨリトモ)が没し、北条氏の台頭や有力御家人の反乱など幕府内部は混乱する。これに乗じて後鳥羽(ゴトバ)上皇ら京都朝廷は公家勢力の回復と討幕を図り挙兵するが、執権北条義時を中心とする幕府軍に大敗しする。
後鳥羽上皇は隠岐(オキ)に、順徳(ジュントク)上皇は佐渡に、後鳥羽上皇の挙兵を諌(イサ)めた土御門(ツチミカド)上皇は自ら願って土佐へ配流される。順徳上皇から譲位を受けたばかりの4歳の仲恭(チュウキョウ)天皇は在位70余日で堀河天皇に譲位させられる。
以後、公家勢力は衰微し、武家勢力の強化を招く。また、京都六波羅(ロクハラ)に六波羅探題が設置される。

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言葉昌泰の変
読みしょうたいのへん
品詞名詞
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意味

(1) 901(昌泰 4. 1.)右大臣(ウダイジン)菅原道真(スガワラノミチザネ)が左大臣(サダイジン)藤原時平(フジワラノトキヒラ)の讒言(ザンゲン)により大宰権帥(ダザイノゴンノソチ)に左遷(サセン)され、 903(延喜 3)配所の大宰府(ダザイフ)で病没したこと。

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言葉正中の変
読みしょうちゅうのへん
品詞名詞
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意味

(1)1324(正中元. 9.)後醍醐天皇の鎌倉幕府討伐計画が露顕した事件。
天皇が政権回復を企て、日野資朝(スケトモ)・日野俊基(トシトモ)らと倒幕挙兵を計画したが、幕府方へ未然にもれて失敗。
天皇は幕府に釈明して許され、俊基も捕えられたがのちに許される。資朝は捕えられ、一人で罪を負って佐渡に流され、のちに処刑。

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言葉永久不変
読みえいきゅうふへん
品詞名詞
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意味

(1)無限の期間に存在することのできる特性

(2)the property of being able to exist for an indefinite duration

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言葉満州事変
読みまんしゅうじへん
品詞名詞
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意味

(1)1931. 9.18(昭和 6)夜、奉天(今の瀋陽市)郊外北方の柳条湖の鉄道爆破事件から始まった、日本の中国東北侵略戦争。
日本政府は不拡大方針をとるが現地軍が独走し、翌1月までに東北三省を占領、1932. 3. 1(昭和 7)満州国を建国。んそう(十五年戦争),うめづかおうきんきょうてい(梅津・何応欽協定)

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言葉生野の変
読みいくののへん
品詞名詞
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意味

(1)1863(文久 3)福岡藩士平野国臣ら尊攘派が沢宣嘉(サワ・ノブヨシ)を総帥として但馬国(現:兵庫県)生野で挙兵した事件。
「但馬の乱」とも呼ぶ。

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言葉甲申の変
読みこうしんのへん
品詞名詞
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意味

(1)1884.12. 4(明治17)「高宗21」李氏朝鮮の独立党が京城で起したクーデタ。
金玉均(キン・ギョクキン)(1851~1894. 3.28)が韓国弁理公使竹添進一郎の指揮する日本軍の援助を得て決行し、親日政権を樹立。すぐに袁世凱(Yuan Shikai)(エン・セイガイ)が率いる清兵が介入。12. 6清国軍・政府軍に包囲され、竹添ら日本軍と脱出し日本へ亡命。
この結果、朝鮮の清国依存が強まり、日本の朝鮮進出は挫折した。
「甲申政変」,「甲申事変」,「金玉均の変」とも呼ぶ。

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言葉臨機応変
読みりんきおうへん
品詞名詞
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意味

(1)困難な状況に対処することができるという特質

(2)the quality of being able to cope with a difficult situation; "a man of great resourcefulness"

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言葉薬子の変
読みくすこのへん
品詞名詞
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意味

(1)平安初期の朝廷内部の抗争事件。
藤原薬子(式家)の長女が皇太子安殿親王(アテシンノウ)(平城天皇)に嫁し、平城天皇(ヘイゼイテンノウ)に仕えて寵愛(チョウアイ)され、兄仲成とともに勢威を振ったが、天皇が病気のために皇太弟嵯峨天皇に譲位すると、勢力の失墜をおそれて仲成とともに平城上皇の重祚(チョウソ)と平城京遷都を企てた。
未然に発覚して弾圧され、仲成は処刑、薬子は自殺し、上皇の子高岳親王(タカオカシンノウ)は連座して皇太子の地位を大伴親王(オオトモシンノウ)(淳和天皇)に譲った。
「薬子の乱」とも呼ぶ。う(六所御霊)

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言葉靖難の変
読みせいなんのへん
品詞名詞
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意味

(1)中国の明代初期、燕王朱棣(Zhu Di)(のち永楽帝<成祖>)が挙兵して南京を攻略し、甥の第2代建文帝(恵帝)から帝位を奪った事件。

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言葉本能寺の変
読みほんのうじのへん
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)1582. 6. 2(天正10)織田信長が明智光秀に襲撃された事件。
信長が備中高松城包囲中の豊臣秀吉を救援する途中で京都本能寺に宿泊した時、 5.17安土を先発していた明智光秀が叛逆して 5.26丹波亀山城に引き返し、本能寺を襲って森蘭丸(ランマル)・坊丸(ボウマル)・力丸(リキマル)兄弟らを討ち信長を自刃せしめた。光秀はさらに妙覚寺にいた信長の子信忠も自殺させた。

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言葉蛤御門の変
読みはまぐりごもんのへん
品詞名詞
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意味

(1)1864(元治元. 7.)長州藩が京都に出兵し、京都守護職の松平容保(カタモリ)が率いる会津・薩摩・桑名藩などの佐幕勢力と蛤御門付近で戦って敗れた事件。
前年の1863(文久 3. 8.18)「八月十八日の政変」で京都を追われた長州藩は、藩主毛利敬親(タカチカラ)・広定父子の名誉回復・七卿の帰洛・藩士の入京を嘆願していた。しかし、1864(元治元. 6. 5)会津・桑名藩兵・新撰組に京都池田屋で尊攘派が襲われる(池田屋事件)。この報らせで長州藩は急進派が藩論を制し、形勢挽回を図って3家老が藩兵1,600名を率いて上京。
久坂玄瑞(クサカ・ゲンズイ)は山崎に、福原元們(フクハラ・モトタケ)は伏見に陣取り、朝廷に書面を以て願い出た。さらに長州から五卿が出発、来島又兵衛(キシマ・マタベエ)は蛤御門に向かい、ここに至り一橋慶喜(ヨシノブ)(のち将軍)に朝命が下り討たれる。久坂・来島は戦死、福原は負傷して帰国、五卿も途中から引き返した。
 7.23幕府は朝廷に長州征伐を請(コ)い奉(タテマツ)り、認可されて、第一次長州征伐となる。
七卿とは三条実美(サネトミ)・三条西季知(サンジョウニシ・スエトモ)・東久世通禧(ヒカシクセ・ミチトミ)・壬生基修(ミブ・モトナガ)・四条孝謌(シジョウ・タカウタ)・錦小路頼徳(ニシキコウジ・ヨリノリ)(のち病死)・沢宣嘉(ノブヨシ)(のち他藩に走る)。
大政奉還とともに1867(慶応 3.10.)五卿・毛利父子は官位を復され、入京も許される。
「禁門の変」,「元治甲子の変」とも呼ぶ。変),いけだやじけん(池田屋事件)

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言葉伊予親王の変
読みいよしんのうのへん
品詞名詞
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意味

(1)平安初期の朝廷内部の抗争事件。
桓武天皇の第三皇子伊予親王(?~ 807)が反逆を計画したとして、その母藤原吉子(フジワラノヨシコ)(?~ 807)とともに川原寺に幽閉され、自殺する。

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言葉坂下門外の変
読みさかしたもんがいのへん
品詞名詞
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意味

(1)1862(文久 2. 1.15)老中筆頭安藤信正が江戸城坂下門外で水戸藩・宇都宮藩などの浪士7人により襲撃された事件。
井伊直弼の後をうけた信正が公武合体論を推進して和宮(カズノミヤ)降嫁を実現させたことが原因。さらに廃帝の企てもあると噂(ウワサ)されていた。
ピストルも使用されたが信正は軽傷であった。
信正はやがて辞職し、以後、公武合体運動に代わり尊皇攘夷運動が盛んとなる。
「坂下門の変」とも呼ぶ。

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言葉桜田門外の変
読みさくらだもんがいのへん
品詞名詞
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意味

(1)1860(安政 7. 3. 3)大老井伊直弼(イイ・ナオスケ)が尊攘派志士によって暗殺された事件。
直弼は、将軍の継嗣を徳川慶福(ヨシトミ)(家茂<イエモチ>)に決定・勅許を待たず日米修好条約に調印などを断行、反対派を安政の大獄で弾圧したことが原因となった。
時ならぬ雪の朝、三宅坂の自邸から登城の途中の桜田門外で、水戸・薩摩の浪士18名によって襲撃・殺害され、直弼の首は持ち去られた。

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言葉紀尾井坂の変
読みきおいざかのへん
品詞名詞
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意味

(1)1878. 5.14(明治11)朝、大久保利通(トシミチ)内務卿が東京赤坂の紀尾井坂で石川県士族島田一郎(陸軍大尉)・島根県士族浅井寿篤(ジュトク)ら不平士族145名に襲撃・暗殺された事件。
大久保は霞ヶ関の官邸から当時仮御所になっていた紀州上屋敷(現:迎賓館)への参内の途中であった。
島田は自首の後、斬罪。

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言葉赤坂喰違の変
読みあかさかくいちがいのへん
品詞名詞
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意味

(1)1874. 1.14(明治 7)夜、右大臣岩倉具視(イワクラ・トモミ)が征韓論を支持する旧土佐(高知県)士族に襲われて負傷した事件。
宮中より退出した岩倉が四谷見附近くの赤坂喰違坂で、武市熊吉ら9名に襲われ、岩倉はたまたま四ッ谷濠(ヨツヤボリ)にころげおち、暗闇の中に水中から首だけを出して命拾いをする。

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言葉ツングースカ異変
読みつんぐーすかいへん
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)1908. 6.30(明治41)中央シベリア台地のポドカメンナヤ・ツングースカ川(Reka Podkamennaya Tunguska)上空で起きた大爆発。また、その現象。
その結果、2,000平方キロメートルの樹木約8,000万本がなぎ倒された。
隕石(インセキ)によると考えられているが、その痕跡(コンセキ)は発見されていない。
「ツングースカ爆発(Tunguska explosion)」とも呼ぶ。

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言葉八月十八日の政変
読みはちがつじゅうはちにちのせいへん
品詞名詞
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意味

(1)1863(文久 3. 8.18)公武合体派によって京都朝廷から尊攘派が追放された事件。
「文久三年の政変」とも呼ぶ。へん(蛤御門の変)

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