サボイア家
読み | さぼいあけ |
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ローマ字 | saboiake |
品詞 | 名詞 |
カテゴリ |
(1)もと南フランスのサボア([フ]Savoie)地方の名家、のちイタリアの王家(1861~1946)。 11世紀初め、始祖( 970~1056)が神聖ローマ皇帝からサボイア伯ウンベルト一世(Umbrto I)に任ぜられる。 ドイツ王の保護下に発展し北イタリアのピエモンテ・ニースに進出。 1416(応永23)アメデオ八世が初めてサボイア公を称する。 18世紀にスペイン継承戦争に乗じてフランスへの従属から独立し、1713(正徳 3)ユトレヒト条約でミラノ・シチリア島を獲得。 1720(享保 5)ビットリオ・アメデオ二世(Vittorio Amadeo II)、オーストリアとシチリア島・サルジニア島を交換して、王号を公認されサルジニア王を称してサルジニア王国を樹立。 19世紀にイタリア統一運動(リソルジメント)の中核となり、1861(文久元)イタリア統一とともにビットリオ・エマヌエレ二世(Vittorio Emanuele II)が王位に就(ツ)く。 第二次世界大戦後、ムッソリーニの台頭とファシズム体制の構築を許したとして国民の支持を失い、ビットリオ・エマヌエレ三世(Vittorio Emanuele III)が退位。1946(昭和21)国民投票の結果、王室を廃止し共和制が成立。最後の国王ウンベルト二世(Umbrto II)とその妻マリアジョゼ、その子ビットリオ・エマヌエレ(Vittorio Emanuele)ら王家一族は国外追放となる。 2002.10.(平成14)王族の入国を禁止していた憲法を改正。 2002.12.23(平成14)ビットリオ・エマヌエレ、亡命先のジュネーブから家族とともに一時帰国。 「サボイ家」とも呼ぶ。〈歴代〉年号は在位。 エマヌエレ:1553~1580。 カルロ・エマヌエレ一世(Carlo Emanuele I):1580~1630。 ビットリオ・アメデオ一世(Vittorio Amedeo I):1630~1637。 カルロ・エマヌエレ二世(Carlo Emanuele II):1637~1675。 ビットリオ・アメデオ二世(Vittorio Amedeo II):1675~1730。 カルロ・エマヌエレ三世(Carlo Emanuele III):1730~1773。 ビットリオ・アメデオ三世(Vittorio Amedeo III):1773~1796。 カルロ・エマヌエレ四世(Carlo Emanuele IV):1796~1802。 ビットリオ・エマヌエレ一世(Vittorio Emanuele I):1802~1821。 カルロ・フェリーチェ:1821~1831。 カルロ・アルベルト:1831~1849。 ビットリオ・エマヌエレ二世(Vittorio Emanuele II):1849~1878。 ウンベルト一世(Umberto I):1878~1900。 ビットリオ・エマヌエレ三世(Vittorio Emanuele III):1900~1946. 5. 9。 ウンベルト二世(Umberto II):1946. 5. 9~1946。
「サボイア家」の読み、意味、品詞、画数、同義語といった基本的な情報から、文字の持つイメージや難しさ、暗号化や語呂合わせ、ダジャレまで様々な情報を提供しています。
"サボイア家"の難しさ
字の分かりやすさ | 7 | |
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サボイア家の言葉というコトバは非常に簡単な常用漢字を使っています。最も難しい漢字でも「家」で、小学校1年生で習う漢字です。 ※苗字に使われている漢字の難易度(修学年)をもとに判定しています。 |
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書きやすさ | 4 | |
それほど画数が多くない言葉です。比較的書きやすい言葉です。 ※苗字に使われている漢字の画数の多さにより判定しています。 |
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読み易さ | 5 | |
サボイア家の読み方毎に難易度を判定しています。 サボイア家は"さぼいあけ"と読みます。 読み方が普通ではないものがあるため、誰にでも読みやすいとは言えません。パソコンでも変換されないかもしれません。 ※使われている漢字とその読みが一般的かどうかで判定しています。 |
"サボイア家"の同音異義語
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