"朝"で終わる4文字の言葉

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言葉ガズニ朝
読みがずにちょう
品詞名詞
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意味

(1)アフガニスタンのガズニに建国されたトルコ系のイスラム王朝( 962~1186)。
サーマン朝(Samanid Dynasty)の奴隷アルプテギン(Alptigin)がガズニに逃れて建国。
最盛期はマフムード王(Mahmud)(在位: 998~1030)の代で、アフガニスタン・イラク・パンジャブ地方を領有し、17回にわたり北西インドを遠征。
のち、セルジュク朝(Seljuq Dynasty)トルコとゴール朝(Ghori Dynasty)の圧迫を受けて滅亡。
「ガズナ朝(Ghaznavid Dynasty)」とも呼ぶ。

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言葉グエン朝
読みぐえんちょう
品詞名詞
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意味

(1)ベトナム最後の王朝(1802~1945)。
阮福映(Nguyen Phuoc Noan)、アンナン(安南)を統一して建国。ユエ(順化)に都する。中国清朝より越南王に封じられ、国号をベトナム(越南)とする。
フランス・ベトナム戦争により、1884年フランス保護国となり、宗主権を争った清仏戦争(1884~1885)を経て1887年フランス領インドシナ(仏印<フツイン>)に編入。
「阮朝(ゲンチョウ)」とも呼ぶ。

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言葉グプタ朝
読みぐぷたちょう
品詞名詞
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意味

(1)古代インドの統一王朝(AD. 320~ 550ころ)。
6世紀にエフルタの侵入により滅亡した。
ヒンズー教が農村を中心に確立し、アジャンタ石窟寺院・サルナート(鹿野苑<ロクヤオン>)が建立されている。一方、仏教は急速に衰退し始めた。

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言葉ゴール朝
読みごーるちょう
品詞名詞
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意味

(1)アフガニスタンのゴール(Ghor)に建国された王朝(1149~1212)。

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言葉サイス朝
読みさいすちょう
品詞名詞
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意味

(1)サイス(Sais)に都した古代エジプトの第26王朝(BC. 664~BC. 525)。

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言葉ザンド朝
読みざんどちょう
品詞名詞
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意味

(1)ペルシア(イラン)南部の王朝(1750~1794)。〈歴代王〉
カリム・シャー(Karim Shah):1750~1779。
アブル・ファト(Abul Fath):1779~1779。
アリ・ムラード(Ali Murad):1779~1779。
サディーク(Sadiq):1779~1782。
アリ・ムラード(復位):1782~1785。
ジャファール(Jafar):.1785~1789。
ルトフ・アリ(Lutf Ali):1789~1794。

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言葉ナスル朝
読みなするちょう
品詞名詞
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意味

(1)イベリア半島最後のイスラム王朝(1231~1492)。
「グラナダ王国(the Kingdom of Granada)(1235~1492)」とも呼ぶ。
1492. 1.(延徳 4)グラナダ、陥落。

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言葉パガン朝
読みぱがんちょう
品詞名詞
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意味

(1)ビルマ人による最初の統一王朝(1044~1287)。
エーヤワディ川(Ayeyawady River)(旧イラワジ川)中流のバガン(旧パガン)を都とする。
上座部仏教が栄え、ビルマ文字が作られた。
13世紀末に元軍が侵略して衰亡し、多くの仏教寺院も荒廃した。

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言葉哈剌汗朝
読みからはんちょう
品詞名詞
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意味

(1)中央アジアを支配したトルコ系初のイスラム王朝( 940ころ~1132)。
首都はカシュガル(Kashgar)。
 999(長保元)イリク・ハン(Ilek Khan)のとき、サーマーン朝(Samanid Dynasty)を滅ぼして最盛となる。
1047(永承 2)パミールを境に東西に分裂。
1132(長承元)東汗国は西遼(セイリョウ)が征服。
13世紀初頭、西汗国はジンギスカンに滅ぼされる。
「カラカン朝」,「イリクハン朝(Ilek Khanidis)」,「伊利汗朝([中]Yilihan Zhao)」とも呼ぶ。

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言葉抗美援朝
読みこうびえんちょう
品詞名詞
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意味

(1)アメリカ(美国)に抗戦し、朝鮮を援助すること。
朝鮮戦争当時の中国のスローガン。

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言葉琉球王朝
読みりゅうきゅうおうちょう
品詞名詞
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意味

(1)三山(山北<サンポク>・中山<チュウザン>・山南<サンナン>)と呼ばれる三つの小国に割拠していたが、1429年に中山王尚巴志(ショウ・ハシ)によって統一され、琉球王朝(第一尚氏王朝)が成立した。
版図は奄美(アマミ)から先島(サキシマ)に及び、また明国との間に冊封関係(サクホウカンケイ)が確立した。1469年政変が起こり、第二尚王朝が樹立され、琉球藩が廃止されるまでの約五百年続いた。
1609(慶長14)薩摩(島津氏)の侵攻を受け与論島以北を割譲し、琉球は薩摩に属することとなったが、明との冊封関係は依然続けられた。
明治維新後、1871(明治 4)廃藩置県の際に琉球を鹿児島県に編入、1872(明治 5. 9.14)国王(尚泰<ショウ・タイ>)を藩主とし琉球藩を設置した。しかし清国はこれを認めず、1874(明治 7)台湾征討を機に日本は清国に琉球の住民が日本国属民であることを認めさせた。1875(明治 8)日本は琉球の清国への進貢・冊封廃止を命じたが、1878(明治11)琉球は反対し清国公使などに救済を訴えた。1879(明治12)政府は軍隊を送り、琉球藩が廃止され王朝の終焉となり(琉球処分)、同年 4. 4沖縄県が設置された。清国はこれに抗議したが、未解決のまま日清戦争に至り日本帰属が確定した。(*)1429(正長 2,永享元)、1469(応仁 3,文明元)。

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言葉雅隆王朝
読みやーるんおうちょう
品詞名詞
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意味

(1)チベットの古代王朝。

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