"窩"がつく言葉

"窩"がつく言葉の一覧を表示しています。
1件目から11件目を表示
言葉眼窩
読みがんか
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)頭蓋骨の眼球を内包する骨性の空洞

(2)the bony cavity in the skull containing the eyeball

さらに詳しく


言葉腋窩
読みえきか
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)肩につながる、腕の下のくぼみ

(2)the hollow under the arm where it is joined to the shoulder

(3)the hollow under the arm where it is joined to the shoulder; "they were up to their armpits in water"

さらに詳しく


言葉膝窩
読みしっか
品詞形容詞
カテゴリ
意味

(1)ひざ関節の後ろの部分に関するまたはそれの

(2)of or relating to the area behind the knee joint

さらに詳しく


言葉中心窩
読みちゅうしんか
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)円錐を含んでいる網膜と視力が最も鋭い領域のわずかなくぼみからなる面積

(2)area consisting of a small depression in the retina containing cones and where vision is most acute

さらに詳しく


言葉関節窩
読みかんせつか
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)肩関節を形成する上腕骨の上部を支える肩甲骨の上部にある陥没部

(2)下顎顆を受ける頬骨弓にある側頭骨の側頭骨の深い凹面

(3)the concavity in the head of the scapula that receives the head of the humerus to form the shoulder joint

(4)a deep concavity in the temporal bone at the root of the zygomatic arch that receives the condyle of the mandible

さらに詳しく


言葉加利列窩
読みがりれお
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)イタリアの天文学者・物理学者・哲学者(1564~1642)。
1610(慶長15)木星の衛星イオ・エウロパ・ガニメデなどを発見。
「ガリレイ」とも呼ぶ。

さらに詳しく


言葉窩闊台汗
読みおごたいはん
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)モンゴル帝国第二代皇帝(1186~1241)、在位1229~1241。廟号(ビョウゴウ)は太宗、諡(オクリナ)は英文皇帝。ジンギス汗の第3子、ジュチ(Djuchi Khan)やチャガタイ(Jaghatai Khan)の弟。金を滅ぼし、ロシアを征服した。
ジンギス汗の死後、本国のモンゴルの帝位を継ぐ。太祖(ジンギス汗)の制定した大法令を憲法として制定。遼の遺臣耶律楚材(ヤリツソザイ)を用いて金の制度を参考に中央政府の機構を整え、モンゴル人に対しても納税の義務を定め、兌換紙幣の交鈔(コウショウ)を発行。1235年首都をオルホン河畔カラコルム(和林)に建設、駅伝(ジャムチ)の制を設けて地方との交通の便をはかった。
外に対しては1234年金国を滅ぼし、1236年バトゥ(抜都)を将として西征軍を派遣、南ロシア・ハンガリーを経略。
「オゴタイ(窩闊台)」,「オゴタイカン(窩闊台汗)」,「エゲディ」,「オゴデイ・ハン」とも呼ぶ。い),じゃむち(站赤),しらおるだ(シラ・オルダ)

さらに詳しく


言葉膝窩動脈
読みしっかどうみゃく
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)足や四肢に供給するために分岐する大腿動脈の延長

(2)a continuation of the femoral artery that branches to supply the legs and feet

さらに詳しく


言葉膝窩静脈
読みしっかじょうみゃく
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)膝で発声し、大腿動脈につながるために上がっている静脈

(2)a vein arising in the knee and ascending to become the femoral vein

さらに詳しく


言葉窩闊台汗国
読みおごたいはんこく
品詞名詞
カテゴリ
意味

(1)モンゴル四汗国の一国、オゴタイ汗およびその子孫が封ぜられた国(1224~1310)。領土は西北モンゴル地方、イリ河上流流域からアルタイ山脈の南麓。都はイリの西北、エミール(也迷里,葉密立)。
オゴタイ汗はジンギス汗の第3子で、ジンギス汗の死後に本国モンゴルの帝位を継いで太宗となったので、汗国の汗位はその子孫によって継がれた。
孫ハイズ(Kaidu)(海都)の時、世祖フビライとモンゴルの帝位を争い、四十年余にわたって反抗したが、彼の死後まもなく1310年チャガタイ(察合台)汗国に併合された。

さらに詳しく


1件目から11件目を表示
[戻る]