(1)平安・鎌倉時代、宮中の警衛や雑役にあたった武士。 蔵人所(クロウドドコロ)に所属し、定員は20名。 滝口にある控え室、滝口所(ドコロ)に詰めていたことから呼ばれる。 「滝口」,「滝口武者(ムシャ)」とも呼ぶ。さいめんのぶし(西面の武士)
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(1)後鳥羽上皇が新たに設置した、院の西面に伺候(シコウ)し警護した武士。 承久の乱後に廃止された。武士)