"坂"がつく6文字の言葉

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言葉坂下門外の変
読みさかしたもんがいのへん
品詞名詞
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意味

(1)1862(文久 2. 1.15)老中筆頭安藤信正が江戸城坂下門外で水戸藩・宇都宮藩などの浪士7人により襲撃された事件。
井伊直弼の後をうけた信正が公武合体論を推進して和宮(カズノミヤ)降嫁を実現させたことが原因。さらに廃帝の企てもあると噂(ウワサ)されていた。
ピストルも使用されたが信正は軽傷であった。
信正はやがて辞職し、以後、公武合体運動に代わり尊皇攘夷運動が盛んとなる。
「坂下門の変」とも呼ぶ。

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言葉坂東三十三所
読みばんどうさんじゅうさんしょ
品詞名詞
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意味

(1)坂東(関東地方)にある33ヶ所の観音の寺堂。
平家追討の折(オリ)に西国三十三所を直接拝した坂東の武士がかかわって成立したとされる。

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言葉日咩坂鐘乳穴
読みひめさかかなちあな
品詞名詞
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意味

(1)岡山県新見市豊永赤馬(トヨナガアコウマ)にある鍾乳洞。県指定天然記念物。

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言葉昌平坂学問所
読みしょうへいざかがくもんじょ
品詞名詞
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意味

(1)江戸幕府の儒学を主とした官立学校。とも林家(リンケ)主宰の私塾。
林羅山が上野忍ヶ岡に創設した弘文館に始まり、1690(元禄 3)将軍綱吉が孔子廟先聖殿とともにこれを湯島に移して聖堂と称し、官学の府となし、林信篤を大学頭に任じて主宰させた。
林家の私学であった聖堂学問所を、1797(寛政 9)昌平坂学問所と改称して幕府の学問所となり、1799(寛政11)学舎を増築し、官学として旗本の教育機関となる。
明治維新後、昌平学校のち大学校と改称し、1871(明治 4)廃止。
「昌平黌(ショウヘイコウ)」,「江戸学問所」,「湯島聖堂」とも、単に「学問所」,「聖堂」とも呼ばれる。(国立科学博物館)

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言葉比叡山坂本駅
読みひえいざんさかもとえき
品詞名詞
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(1)滋賀県大津市(オオツシ)にある、JR湖西線(コセイセン)の駅。
唐崎(カラサキ)駅と雄琴(オゴト)駅の間。

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言葉紀尾井坂の変
読みきおいざかのへん
品詞名詞
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意味

(1)1878. 5.14(明治11)朝、大久保利通(トシミチ)内務卿が東京赤坂の紀尾井坂で石川県士族島田一郎(陸軍大尉)・島根県士族浅井寿篤(ジュトク)ら不平士族145名に襲撃・暗殺された事件。
大久保は霞ヶ関の官邸から当時仮御所になっていた紀州上屋敷(現:迎賓館)への参内の途中であった。
島田は自首の後、斬罪。

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言葉落地飯坂遺跡
読みおろちいいざかいせき
品詞名詞
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意味

(1)兵庫県赤穂郡(アコウグン)上郡町(カミゴオリチョウ)にある、奈良~平安時代の遺跡。

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言葉赤坂喰違の変
読みあかさかくいちがいのへん
品詞名詞
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意味

(1)1874. 1.14(明治 7)夜、右大臣岩倉具視(イワクラ・トモミ)が征韓論を支持する旧土佐(高知県)士族に襲われて負傷した事件。
宮中より退出した岩倉が四谷見附近くの赤坂喰違坂で、武市熊吉ら9名に襲われ、岩倉はたまたま四ッ谷濠(ヨツヤボリ)にころげおち、暗闇の中に水中から首だけを出して命拾いをする。

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